第1711回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1710回 第2次黄海海戦の事。 2016年12月6日火曜日の投稿です。
ところで、前話で紹介した、山縣有朋公の配下の 広島第5師団と、名古屋
第3師団が、清国軍を部分的に撃破して、 進撃を続けると、戦ってもいない
清国軍は、包囲されると感じたのか、 どんどん内陸へ撤退していったのです。
東京 第1師団の先鋒、 乃木 希典 陸軍少将の第1旅団の軍勢が
旅順軍港に進撃をしていると知った清国艦隊は、再度 日本艦隊に残存の
艦艇で夜間総攻撃をかけてきたのです。
突破されてしまったのです。
当時、 清国艦隊の海上防衛線の突破騒動で、大騒ぎになっていったのです。
と言うのが、 1度、防衛線を突破されると、日本海軍の艦艇では 速力が
同程度なので、 追いかけても追いつかなかったのです。
これらの戦訓は、後に研究され、その後の日本海海戦のティ字戦法に
行かされることになって行きます。
特に視界の悪い夜間に清国艦隊が、日本海軍の包囲網を突破してきたようで、
日本側は、あれよあれよというまに、 清国艦隊に突破され、 追いかけても、
双方が同程度の速力なので、 追撃がかわされていったのです。
ところで、陸軍では、日本の内地から、輸送船で物資をどんどん
海上輸送を行っている最中で、 これらの輸送船が攻撃される危険性
高まっていったのです。
【 山縣 有朋 陸軍大将 】
この出来事の報告を聞いた山縣 有朋公は、「 おみゃらーあれだけ
いうとったにもかかわらず、なにをしょうるんならーー。」と、激怒し、
包囲網を突破していった清国艦隊の行方の追跡を海軍に強く申し入れ
を行ってきたのです。
このような経緯で、日本海軍では、大騒ぎをして、包囲網を突破
して 行方をくらませた 清国艦隊を捜索することになっていった
のです。
これらの出来事の反省点は、とにかく、数珠つなぎとなって、相手の
進路をふさいで、 射撃を繰り返し、相手を撃退するまで、相手の進路に
立ちふさがるには、どうしたら良いか、 海軍関係者が頭を捻ることになって
行ったのです。
【 明日に続く。】