第1712回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1711回 アメリカ合衆国からの圧力の事。2016年12月7日水曜日の投稿です。
1894年 明治27年11月21日、 日本と清国の戦争を注視していたアメリカ
の当時の大統領であった、グロバークリープラント 大統領は、 このまま放置して
日本が北京に攻め込み、巨大な軍事帝国が出来るのを恐れ、日本側に即時停戦し、
朝鮮半島から撤退するように圧力をかけてきたのです。
【 アメリカ合衆国 クロバークリーブラント大統領 】
この人は、珍しい人で、 途中、 数年間の空白をおいて、2度も大統領に
当選した人で、 非常に権力欲の深い人であったのです。
日本側に圧力をかけさせたとか、 当時いろんな噂があるそうですが、
アメリカとしては、 当時、清国をフィリピンに続いて自分達の植民地にしよう
と考えていたようで、 日本側が戦線を拡大し、 広範囲を占領する前に、
圧力をかけて、 撤退させようと考えていたようです。
朝鮮半島から日本軍の即時撤退、 清国との和平講話に応じるように圧力
をかけてきたのです。
広島大本営で話し合われることになっていったのですか゛、 山縣 有朋 公
は、この話を聞いて激怒したのです。
【 長州閥の 実力者 第1軍総司令官 山縣 有朋 公 】
「 朝鮮は、日本がもうー占領したんじゃ、なんで、かえさんといかんのんじゃ。」
「 そんな、 おかしな和平、 ことわってしまえぃ。」 と、こんな感じに取り合おうと
せず、 日本側は、 第2軍の 大山 巌 総司令官に、旅順要塞総攻撃の命令
を発令することになっていったのです。
【 当時の 伊藤 博文 内閣総理大臣 】
実は、当時、 日本の政府に対して、アメリカだけでなく、清国に軍事援助して
いた 大ドイツ帝国や、フランスやロシアなどからも、脅迫を受けていたのです。
これらの国は、 清国を食い物にして、 自らの利権を中国大陸に作ろうと考えて
いて、 そこに、東洋の島国の日本が軍事力で勢力を拡大することに、反発して
いったのです。
西洋の列強から、 即時停戦、 朝鮮半島からの即時撤退を求められ、
当時の伊藤内閣は 苦しい対応をしていくことになっていき、 反面、陸軍を
中心とした、国内の交戦派は、 局地戦の勝利で有頂天となり、国民と一緒に
万歳三唱をして、 戦争の継続を訴えて行ったのです。
保護と称する 日本陸軍の在朝鮮の日本人警護の目的の800名の派兵の
許可から、 あれよあれよとい間に、巨大な武力衝突に発展していったのです
が、 本人は、 この後始末をどうつけるか、苦悩することになっていったよう
です。
中心とする 交戦派が納得せず、 逆に、 このまま放置して、中国大陸に
どんどん戦火を拡大し、 仮に勝利しても、 とてつもない広い土地で 占領
維持が難しく、 西洋諸国との戦争に発展する恐れもあり、多いに苦慮する
事になっていったのです。
【 明日に続く。】