第1713回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1712話 陸軍の旅順攻撃作戦の事。 2016年12月8日木曜日の投稿です。





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     国際社会から、日本が侵略行為をしていると非難され、早期に朝鮮半島

   から撤退を求められていた当時、1894年の明治27年11月20日に、

   右翼から、 陸軍の東京第1師団、 左翼から、福岡の混成第12旅団が

   旅順に攻撃を開始したのです。



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    清国は、旅順に十数年かけて、要塞と軍港を整備していたと伝えられ、

  当時、東洋一の軍港要塞と呼ばれていたのですが、 その実態はよくわかって

  いなかったのです。

  ここの造船所が、清国で、唯一の造船所で、ここを失うと、軍艦の修理、整備

  が出来なくなるわけで、清国からすると大変大切な軍事拠点であったのです。



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                  【 野戦砲兵 第6連隊 第3大隊 】


    ところが日本軍が進撃してみると、要塞はあったのですが、 昔の中国の

   レンガを積み上げていく、旧式な陣地で、 日本側の砲撃で、もろくも崩れて

   行ったのです。



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    この中国古来の築城方法は、刀や槍、弓、小銃などには、防御が可能

    でしたが、 西洋式の大砲の砲撃を受けると、 破壊されていったのです。


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      清国軍は、城壁が破壊され、自分達の城壁が役に立たないと悟と

      なんと、1日で降伏してしまい、明治27年11月21日には、日本側が

      旅順を占領してしまったのです。

      つまり、東洋一と呼ばれていた、清国の旅順要塞は、1日であっけなく

      落城してしまったのです。



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      このような経緯で、 遼東半島は日本側が占領し日本陸軍は清国の

     内陸部に向かって進撃を続けていったのです。

     
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             【 グロバークリーブラントアメリカ合衆国 大統領 】


      アメリカの「即時停戦、 日本の朝鮮半島からの即時撤退、 武力による

      侵略行為をやめるように。」と言う申し入れを、日本の伊藤内閣は無視

      したものと考えられ、 アメリカ合衆国を中心に、西洋諸国から強力な

      圧力が日本に加えられていくことになっていったのです。


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   ところが、 陸軍の 山縣 有朋 陸軍大将らは、「清国 恐れるに足らず、

   このまま、北京に進撃して、 清国を打倒せしめん。」と豪語し、 連戦連勝

   の新聞報道から、当時の国民は拍手喝采し、 戦争継続の世論が高まって

   いったのです。


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         1度 やり始めたら、 当時の内閣や、政治家は軍人の暴走を

         止められなくなり、 どうやって終わりにさせるか、苦慮することに

         なっていったのです。


   【  明日に続く。】