第1714回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1713話 旅順事件の事。 2016年12月9日金曜日の投稿です。



  

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   ところで 当時東洋一の軍事要塞と思われていたと言うか、そういう評判で

 あった 旅順要塞は、実は大したことのない、昔の築城法による、間素な城塞

 であったのです。


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   そして、軍港が山々に囲まれ、 他国の軍艦が近づけず、 砲台なども

 あって、 秘密のベールに包まれ、西洋諸国も関心を示していたのです。

 当時 10月8日にイギリスが、 10月9日には、イタリー王国が、 11月12日

 には、アメリカ合衆国が即時停戦を日本側に申し入れてきたのですが、日本

 陸軍はそのような話しに取り合わず、旅順を攻撃し、占領したのです。


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   その後、アメリカの新聞に、「日本軍一般市民を6万人虐殺。」というタイトルで

  日本が旅順で、 一般市民を皆殺しにしたと、 こう言う報道がなされ、世界から

  非人道的な侵略行為と非難されていくことになったのです。

  フランスの新聞には、1500名虐殺とか、イギリスの新聞には200名とか、

  新聞によって 死者の数が大小あったのですが、 世界は日本が他の国に

  進入し、一般市民に対して残忍な行為に及んでいると思われていったのです。


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  後に伝えられた事実は、 東京第1師団の師団長 山地 元治 陸軍中将が、

 歩兵第2旅団の西 寛二郎少将に、旅順市内を占領するように命令を出し、

 その隷下の 水戸歩兵第2連隊の伊瀬知 好成 陸軍大佐の部隊が 旅順

 市内で、清国軍と戦火を交え、 多くの一般市民が巻き添えになったようです。

 考えて見れば、周囲は険しい山々に囲まれていて、逃げ場は無いわけです。

 建物の中に隠れていて、戦闘に巻き込まれていったようです。



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 そして、しばらくして、水戸第2連隊は、別の命令で転進し、 さらなる悲劇という

のが、翌日、清国兵が、 服を脱いで、民間人の格好で逃走し、今度は市街地で

民間人に紛れてゲリラ戦を始めたのです。

当時、旅順の占領、警備は、 九州の 混成第12旅団の長谷川 好道 陸軍少将

が任務に就いていて、 その隷下の 小倉歩兵第14連隊の益満 邦介 陸軍中佐

の部隊と、福岡歩兵第24連隊の吉田 清一 陸軍中佐の部隊が、これらの騒動の

鎮圧にあたることになっていったのですが、一般人なのか、清国軍の兵士なのか

判別がつかず、 手当たり次第、皆殺しにしていったことがわかっていったのです。


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              【 アメリカ合衆国のグロバークリーブラント大統領 】


  これらの報道は、当時世界を駆け巡り、 大日本帝国を非難する国が増えて

 いったのです。

 アメリカの ニューヨークワールドという新聞は、2千人虐殺されたと、新聞に

 かき立て、アメリカの世論を煽ったのです。

 特に、ロシアは、この遼東半島を、植民地にしようと考えていたところに、日本が

 占領してしまったので、 フランスやドイツに働きかけ、 日本を追い出そうと

 外交工作を始めていったのです。

 ロシアは貿易を安定的に行うにあたり、海水の凍らない、港を欲していたの

 です。

 シベリア鉄道を延ばして、遼東半島を押さえて、鉄道を整備し、大連や、

 旅順を自分の思う様にしたかったのです。

 又、 ドイツも同様で、 イギリスも香港に続いて、この地に港を欲していたの

 です。

 フランスも同様であったのです。 


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      ところで、山縣 公 や大山 陸軍陸軍大将らに、報告された市民の

     死体の数は、おおよそ 1600名であったと伝えられています。


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    山縣 有朋 公の周辺は、 市街戦を行うと、市民の死傷者が出るのは

  当たり前と公言し、 これらの行為については不問にしたのです。

  問題があるとすれば、 一般市民の格好をして、日本陸軍に攻撃してくるのが

  国際法上問題行為であると発表し、 国際社会の停戦勧告を無視して次の

  作戦を実行していったのです。

  それはどんな作戦かというと、 清国の領土に進撃し、清国軍を粉砕しようという

  こう言う作戦であったのです。

  国際社会からの即時停戦、朝鮮半島からの撤退の申し入れなど、「へのそうろ

  う。」であったのです。


   【明日に続く。】