第1717回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1716話 明治天皇からの勅命の事。 2016年12月12日月曜日の投稿です。



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            【 長州閥の 元締めであった 山縣 有朋 公 】



    日本陸軍 第1軍 総司令官 山縣 有朋 陸軍大将は、 折からの寒波

   と降雪で、大風邪をこじらせて、肺炎となった様で、 当時、 野外で野営する

   末端の兵士の中には、凍死したり、凍傷にかかる人が多く、又、馬なども、

   寒さで死んでしまう馬も続出していったのです。

   中国東北部の現地は、日本より雪が多く、 日本陸軍はすべてが凍り付き

   大変な戦訓を得ることになっていったのです。



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    こうした事案の場合、 第1軍の司令官任命権は当時、征清大総督か、又は

  陸軍大臣が任命するのですが、当時の陸軍大臣は誰であったかというと、第2軍

  の総司令官 大山 巌 陸軍大将であったのです。



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          【 当時 陸軍大臣 兼 第2軍総司令官 大山 巌 陸軍大将】


   以前紹介したように、 大山 さんと言う人は、薩摩の西郷隆盛 公の従兄弟で

 当時海軍大臣をしていた、西郷 従道 公とも 同様な関係であった実力者でしたが

 長州閥の 総帥の 山縣 有朋 公を罷免したり、 指図がましい事は出来なかった

 のです。

  そこで、考えられたのが、 山縣 公の顔を潰さない形での司令官の交代を

  模索する動きが始まっていったのです。


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   この話、 陸軍大臣であった 大山 大将から、初めは、内閣総理大臣

   伊藤 博文公に話が行ったようですが、 伊藤さんは、「 わしが言うたら

   糸がもつれるけぇ。」と、 難色を示し、 結局、 この話は 明治天皇

   奏上され、 「 明治天皇の勅命。」 と言う事で、 「 山縣には、一度

   国に戻り、身体を養生して、1日も早く養生して 病を治し、国事に復帰

   すべし。」 と、 勅使が 山縣 公のもとに向かうことになっていったのです。



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               【 当時の首都 広島大本営 広島城 】



   「 日本陸軍天皇陛下の軍隊である。 内閣総理大臣の軍隊ではない。」

  と、世間に公言し、暴走していった 陸軍でしたが、 薩摩出身の大山 陸軍大臣

  も 口を挟めず、 ついに、明治天皇の勅命という事で、山縣公の 顔を潰さない

  形で 第1軍 総司令官の職を解いて、 別の人物を総司令官にすることが

  進められていったのです。



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    山縣 総司令官の命令で、前進したのはよいですが、海城には、桂 太郎 

  陸軍中将の指揮する 名古屋第3師団が 寒波と降雪と清軍の攻撃で 孤立し、

  食糧、弾薬が尽きて 全滅寸前となり、 これらの難局にすぐに対応出来る人物

  が求められていったのです。


  【 次回に続く。】