第1718回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1717話 野津 道貫陸軍中将の事。 2016年12月13日火曜日の投稿です。





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    1894年 明治27年12月18日 山縣 有朋 陸軍大将の後に、 第1軍

  総司令官に推挙されたのは、 野津 道貫 陸軍中将でした。

  いろんな候補者の中から、 野津 さんが指名されたのには訳があって、

  開戦以来、 広島第5師団長として従軍し、現地を熟知しており、実戦経験が

  豊富な師団長であったからです。



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      【 広島第5師団 師団長 野津 道貫 陸軍中将  薩摩藩出身 】





    野津 中将には、野津 鎮雄 陸軍中将【当時 故人】 の兄がいて、この人

    も陸軍中将で、 兄弟で中将となった軍人で、 初陣は、 薩英戦争 戊辰戦

    争、西南戦争など、多くの実戦の戦歴があったのです。



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          【 陸軍大臣 大山 巌 陸軍大将  薩摩藩出身 】




     当時、第2軍総司令官 兼 陸軍大臣の 大山 陸軍大将も、様子のわか

    らぬ将官が現地に出向くより、 現地で作戦指導に当たっている、野津

    広島第5師団長が、 横滑りして 第1軍 総司令官になるのが妥当な判断

    であると追認し、 極寒の現地で第1軍の指揮をとることになっていったの

    です。



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                    【 上原 勇作 陸軍元帥 】


     ところで 戦後の現在、知る人は少ないのですが、 陸軍 皇道派の元祖

   の派閥を形成し、 参謀本部に根を張り、 大正時代、 田中 義一 陸軍大臣

   と対立していく、 上原 勇作 陸軍元帥の 奥さん が野津 中将の 長女で

   都城から上京して、 野津 中将の自宅で 書生をしていて、 義理の息子に

   なっていったそうで、当時、 野津中将に同伴し、 参謀に昇格し、第1軍の

   参謀として、 上原 勇作 陸軍中佐は 第1軍司令部に入ることになっていく

   のです。


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   当時の野津第1軍総司令官が とった作戦とは、 名古屋 第3師団は孤立し、

 広島 第5師団は 釘付け、 手元に兵力がないため、 第2軍の 大山大将に

 援軍を送ってもらい、 その兵力で 補給物資を 名古屋 第3師団の駐屯する

 海城に 搬入する作戦を考える事になっていったのです。



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     第2軍では、 東京第1師団隷下の 1個旅団を抽出し、 第1軍への

    増援としたのです。

    派遣されたのは、 群馬県の高崎歩兵第15連隊と 東京府の東京歩兵第1

    連隊の2個連隊で構成された、 第1旅団 旅団長 乃木 希典 陸軍少将

    であったのです。



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     【 歩兵第1旅団 旅団長 乃木 希典 陸軍少将  長州藩出身 】





     猛吹雪の寒波の中、 孤立する 海城の 名古屋 第3師団の救援に

    乃木 希典 陸軍少将が指揮をとる、 第1旅団が出陣することになって

    いったのです。


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     旧 薩摩藩の 薩英戦争からのたたきあげの 野津 陸軍中将の指揮下

     で、長州の乃木閣下が 活躍することになっていくのですが、 この戦訓

     話を聞いていた、 海軍兵学校 第52期卒の士官候補生達は、私も含



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    めて、 自分達も機会があれば、このような戦に参加し、手柄をたてて

    有名になりたいと 戦争という名の暴力と、 戦死という 人の命を軽く見て

    「いずれは 我も後につづかん。」と、 野心を燃やして、当時は考えていた

    のでした。


    【 明日に続く。】