第1725回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1724話 英国領 ポートエドワード入港の事。2016年12月20日火曜日




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 1924年 大正13年の8月、 ヨーロッパでは、 ナチスヒットラー総統や、

 側近の 筆頭秘書の 後のヘス副総統達が、当時のヴァイマール共和國から

 国家反逆罪で逮捕、刑事告訴され、懲役刑が確定し、刑務所に投獄されて、


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   【 威海衛は、朝鮮半島の西対岸にあって、 黄海を押さえる要衝であった。】




 3ヶ月後、当時、私達は、イギリスの植民地、 中国大陸の 威海衛 【ウェイハイ】

 こと、当時のイギリス領のポートエドワードに入港したのです。


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      当時の日本は、前年の9月に関東大震災が発生し、多くの被害が発生

    して、その爪痕がまだ痛々しく残っていた頃、私達は最初の外国の訪問を

    行ったわけです。




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                      【  海軍兵学校時代の筆者 】


 練習艦隊での目的は、 一つ、 海と言う大自然を知る事。

                二つ、国際感覚を養う事。

                三つ、各地の戦跡を訪ねて、自己の研鑽をする事。 


  まだ、 色々あったのですが、 このような目的があって、当時の日本海


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           【 海軍練習艦隊 先任参謀 日暮 豊年 海軍中佐 】  



 練習艦隊 先任参謀の 日暮 豊年 海軍中佐が、 艦隊の行動予定に、ここ

 ポートエドワードの地を 入れられたわけです。



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    練習艦隊は、 黄海の香港と呼ばれていた、ポートエドワードに投錨したの

  ですが、当時ここは、日本海軍の動勢を探る 英国の拠点で、 ここから、支那

  大陸の軍閥に、分裂工作を行い、お互いが争うように仕向けて、英国は物資を

  両方に売りつけて、金儲けをする 拠点でもあったのです。

  当然、 アヘンなども、ここから支那大陸にどんどん流され、支那人は食い物

  にされていたわけです。


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      日本が日清戦争で占領し、西洋諸国に嫌がらせを受けて、無理矢理

      占領地を清国に返還させられ、 入れ替わりに イギリスやドイツがこの

      地を植民地にしていったのです。

      こう言う経緯を知ると、「 なんや、どっちが侵略者なんや。」と言いたく

      なっていたのは、 同期の士官候補生全員で、 日本がもし戦争に負けて

      西洋諸国の植民地になった場合、 どうなるのか、 こういう事を現地で

      勉強する事になっていったのです。



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      そして、ここ 山東半島は、6年前までは、日本とドイツが戦火を交えて

      いた、そういう 場所であったのです。

      現地の状況を肌で感じ取り、 山東半島の戦跡を歩いて、後学の

      為に現地を訪れていったのです。

      いよいよ、私達は、ポートエドワードの見学に上陸する事になっていった

      のです。


      【 明日に続く。】