第1728回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1727話 栄城特別陸戦隊の事。2016年12月23日金曜日の投稿です。
1895年 明治28年1月19日の深夜、極寒の旅順港を出港した4隻の
のです。
平山 藤次郎 海軍大佐であったのです。
この4隻の任務は、 山東半島の栄城湾に進出し、 艦砲射撃の後、陸戦隊を
編成し、栄城の砂浜を占領し、 後続の陸軍部隊の到着まで確保することに
あったのです。
【 山東半島 栄城上陸作戦の先陣を務めた、 平山 藤次郎 海軍大佐】
ところで、山東半島の栄城とは、どこであったかというと、威海衛【ウェイハイ】
の目と鼻の先程度の海岸であったのです。
ここに、進出し、 清国の守備隊の目の前の海岸に上陸し、陸軍部隊の上陸まで
確保することが 平山海軍大佐に要求された 命令であったのです。
同日、 深夜、旅順港から、第2軍隷下の佐久間 左太馬陸軍中将の指揮
輸送船に次々乗り込んでいったのです。
この 新発田 第16連隊 福島 傭智 陸軍大佐の部隊の任務は、海軍が
確保した 栄城湾の海岸に上陸し、 清国軍を引きつけて、囮の役割を務める事が
任務であったのです。
清国陸軍や、海軍とすれば、 すぐ近くの海岸に日本軍が上陸して
くれば、 攻撃してくるに違いなく、 清国軍の注意を栄城に引きつけておく
これが作戦の第1の目的であったのです。
1895年 明治28年1月20日の午前6時30分 薄暗い中を、日本海軍の
八重山など4隻の艦艇から、艦砲射撃が始まり、 沿岸の清国の監視塔などを
撃破し、 海軍特別陸戦隊の上陸作戦が、真冬の栄城湾で開始されたのです。
が有名ですが、 数年前紹介した 尼港事件の陸戦隊のお話しのように、明治
の頃の海軍の陸戦隊というのは、小銃に軍刀程度の 軽装備の部隊であったの
です。
そして、その兵力は、当時は艦艇の中の下士官 水兵を抽出して、臨時に
編成した、陸戦には不慣れな部隊であったのです。
この栄城湾に上陸する 特別陸戦隊の第一目標は、岬にある灯台、
そして、 電信柱に張られている 電話線を切断し、清国の通信網を遮断し、
砂浜を占領し、 陸軍の新発田 第16連隊が上陸してくるまで、海岸を確保
することにあったのです。
艦砲射撃の支援の下、 海軍特別陸戦隊は、栄城の砂浜に向かって
海上を進撃していったのです。
【 当時の 威海衛の 清国 海軍司令部 】
当時、 清国側は、 栄城湾に 日本艦隊が姿を現し、砲撃を加え、
陸上兵力が上陸して来たことを知り、 決断を迫られる事になっていったの
です。
それはどういうことかと言うと、 すぐさま 兵力を栄城に派遣し、海岸で
日本軍を迎え撃つのか、 それとも、威海衛の城で 防備を固めるのか
どうするのかと言う事です。
【 清国の 威海衛の軍事城塞 】
清国側は、対応を考えている間に、 大切な時を浪費し、その間、日本側は
どんどん兵力を栄城に揚陸していったのです。
当時の戦術として、 海岸線で相手が陣形を整える間を与えず、攻撃し、
海岸で相手を撃退するのが 最良の戦法であったのですが、 その機会を
逸して、日本側は、兵力を陸揚げし、 陣形を整えて、威海衛に進んで行った
のです。
実は、この部隊は 囮部隊で、 清国側はこれに気がついていなかったようです。
南の海域には、 熊本第6師団の輸送船団が、隠密に山東半島をめざして
北上していたのです。
実は、 上陸部隊は こちらが本隊の主力部隊であったのです。
この事実を 清国側も、国際社会もまったく知らなかったのです。
的に侵攻を開始したのです。
【 明日に続く。】