第1733回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1732回 清国陸軍の敗走の事。 2016年12月28日水曜日の投稿です。




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  みなさんもそうですが、前を向いて、小銃の引き金を引いて戦っている時に、

後から敵の弾が飛んできたり、 自分の分隊が横一列で射撃している時に、左右

分隊が、 後に走って逃げていったりすると、 不安になるわけです。

当時の清国兵というのは、 装備はアメリカやドイツの西洋式小銃で、すぐれた

品でしたが、 後に軍事要塞があると、安全な場所に戻りたくなったのか前線の

持ち場を放棄して、退却する部隊が出ていったのです。

そして、雪崩を打って、 どんどん逃走していったのです。



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  日本の戊辰戦争での戦訓というのは、相手が逃走し、 その後を追う場合、

相手が、休憩して、体制を立て直そうとしたりする時間を与えず、「突いて、突いて

突きまくる。」これが、最大の防御と考えられていたようです。



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             【 熊本第11旅団 旅団長 大寺 安純 陸軍少将 】



 熊本 第11旅団の大寺 安純 陸軍少将は、配下の連隊に補給にかまわず

 今ある弾薬を効果的に使用して、 つまり節約しながら、追撃の追撃、さらに

追撃を命令していったのです。



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  清国兵は、途中で ドイツ製の大砲などを放置して、 威海衛の城塞に逃走

していったのです。

 中国古典の三国志などを読むと、 相手が逃走して、後を追いかけると、 伏兵

があって、逆に待ち伏せされて攻撃されるシーンが多いのですが、実際は、 そん

なことは無かったようです。



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    日本軍はどんどん進撃していったのですが、先に紹介したように、弾薬や

  食糧、飲料水の補給物資が前線に届かず、 冬の1月の冬季の寒い季節に

  兵士達は、補給不足に悩み、 しかたなく現地の井戸水などを飲むと、数時間

  で食中毒の症状を発症し、倒れていったのです。

   日本と違って、山東半島わき水は、ろ過して処理をしないと、日本人が

  飲むと 食あたりを起こしていったようです。

  そのような中、 軍司令部は、つぎつぎ前進を命令し、3日後、部隊は清国の

  城塞の手前の百尺崖の地に到達したのです。



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      ここには、清国の城塞があって、 そこの手前で日本軍の進撃は

      ストップしたのです。


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      この城塞を攻略すると、その向こうには 威海衛の湾が広がっていて

      この作戦の戦略目標の清国の傷ついた残存艦隊 14隻が停泊して

      いたのです。


      【 明日に続く。】