第1734回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】


第1732話 軍歌 「 雪の進軍。」の事。2016年12月29日木曜日の投稿です。





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今日の昔話は、戦後の現在、忘れ去られた事ですが、当時の戦前の日清戦争

の威海衛周辺の戦闘に由来のある軍歌のお話しです。



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 1895年 明治28年1月26日から始まった、日本陸軍支那 山東半島

の戦闘は、 寒波と悪路で補給物資が前線に届かないという、大きな戦訓を

得ることになり、 草履や草鞋などで現地に来ていた、九州の人達は、凍傷

にかかり、 凍死する人も続出し、 日本と違う気候風土は日本人を苦しめた

のです。


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なにしろ、支那大陸は、マイナス30度程度まで気温が低下し、寒さで、銃剣や軍刀

が折れる事が多発する程度ですから、 北海道より寒いわけです。

 そんなことは知らずに、九州の熊本から草鞋で現地に行くのですから、本人が

悪いわけでなく、 情報を提供しない、司令部が悪いわけです。

 ところで 当時の第2軍総司令官は、時の陸軍大臣 大山 巌 陸軍大将で

 あったのです。



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                【 第2軍総司令官 大山 巌 陸軍大将 】

  大山さんと言う人は、西郷 隆盛 公の従兄弟で、 西洋好きの人で有名で

 洋風の屋敷を建てて住んでいたのですが、 亡くなる直前の大正5年12月

 重篤の病状で、寝間でずっと聞いていたレコードの音楽は、 伝えられるところ

 では、「 雪の進軍。」 という 軍歌のレコードであったそうです。

 この 雪の進軍 という音楽は、 明治28年の山東半島出兵の時に、当時の

陸軍 教導団 軍楽隊 軍楽次長であった、 永井 建子 【ながい けんし】さん

という軍人の人が考えたもので、 雪の中の行軍中、 辛い中、頭に浮かんだ

メロディを手帳に書き留め、 内地に凱旋後、 楽譜にした音楽だったそうです。


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【 陸軍教導団 軍楽次長 永井 建子 【 永井けんし】 広島県五日市出身 】



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   戦後の現在、 「 雪の進軍。」と言う音楽は、知る人は少ないのですが、私が

 子供の頃は、よく 学校で歌わされたり、兵学校でもよく歌ったものです。

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                  みなさんも、もし、機会があったら、 聞いて見てください。



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  寒い、道中、つらい時など 雪の進軍を口ずさむと、元気が出ると思います。



     【 明日に続く。】