第1761回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1760話 両国の探り合いの事。 2017年1月26日木曜日の投稿です。



  

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  1895年 明治28年3月20日 福岡県の門司港に滞在していた、清国の和平

使節 欽差大臣 李 鴻章 【リッ ポチャン】との会談は、関門海峡を挟んで、

山口県下関市で行われる事になっていったのです。


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  ところで、日本の歴史教科書では、 下関の講和条約で伊藤 博文公 達が、

日本側が勝利して、日本側に有利な条件で講和条約を結び、日清戦争を勝った

ような、そういう表現が多いですが、実はそうではなかったようです。

 伊藤 博文 内閣総理大臣は、 日本側が占領しいる、山東半島遼東半島

の割譲、 清国から日本への賠償金の支払い、 朝鮮半島は日本の影響下に

おく事、琉球列島、 台湾を日本の領土として認めるよう、 清国の和平使節

申し入れを行い、 強談に訴えたようです。


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   ところが、このような約束を結んで清国に帰国すると、自分だけでなく、家族

 親族も 首が飛ばされると考えた、李 鴻章代表は、 「台湾、琉球の問題は、

 この度の武力衝突に関係しない出来事で、また、清国に毎年貢ぎ物を持って

 来ている国々なので、 今回は、皇帝から交渉権限を与えられておらず、ここ

 では何も約束は出来ず、 話を持って帰って 報告はするが、その後の決定

には、当職は関与できないので、何とも言えない。」を、繰り返すのみであった

のです。

 そして、朝鮮半島の問題については、「 高麗 は、古くからの清国の属国で、

毎年貢ぎ物を献上してくる間柄で、 高麗王朝から、「国内で反乱が発生し、鎮圧

のために合力してもらいたい。」と、要望が我が国にあったので、軍勢を派遣して

援助しようとしただけで、 日本を相手に戦争をしようとしたわけではない。」と、こ

んな答弁を繰り返し、 日本側が占領している、 遼東半島山東半島は、国際

社会が認めている清国の領土であるので、速やかに撤退して、 清国に戻すよう、

申立を行ったようです。

会談は、数日にわたって、平行線のままで両者が和平にあたり、お互いの要求を

言い合ったようです。

清国側の目的の第1は、 戦闘行為を終わらせること。 第2は、日本が攻めて

こないようにする。 こう言う事であったのです。

決して、 降伏したり、 日本側の言うなりの和平など結ぶつもりもなかったのです。

そのような、日本側の条件を持って帰ると、李 鴻章は、帰国して自分の首が飛ん

でしまうことを悟っていたのです。


【 明日に続く。】