第1764回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1763話 李 鴻章 清国代表の負傷の事。
2017年1月29日日曜日の投稿です。
【 当時の内閣総理大臣 伊藤 博文 公 】
1895年 明治28年3月24日の午後、春帆楼で、「 大変です。清国の和平
若造に、狙撃され、顔面に弾丸が命中し、 出血し、担ぎ込まれました。」 と報告を
受けた当時の内閣総理大臣 伊藤 博文 公は、 「 なんじゃとう。」と、目を大きく
開いて驚き、 「 大変な事をやってくれたのう。」 と、顔色を変えて怒り出し、「警護
のもんは、 なにをしょうたんなら。」と、言いながら、どかどかと、小走りで現地に
向かおうとしたそうです。
後から、外務省の職員が、おいかけていると、思いついたように、後を向いて、
「 おい、おぃ、 そうしゃ、医者じゃ、医者、 だれかはよう外科の達者な医者を
よんでけぃ。 はようせぃ。」と叫ぶと、海の方に走って行ったそうです。
伊藤 博文公が現地に到着すると、 一騒動起こった後で、 「 清国の
使節は どうしたんなら。」と聞くと、 「血を流しながら、ほほを押さえて、門司
の方に渡られましたけぇ。」と言う、 伊藤 博文公達は、 引接寺の方に急いで
かけだし、 人力車の車頭の顔を見ると、 「 伊藤じゃ、 はよう引接寺にやって
くれ。」と、イライラした顔で、大声で叫ぶと、 人力車に飛び乗ったそうです。
外務省の職員が、 「 伊藤先生、犯人は何者でしょうか。」と伊藤 博文公に問
うと、 伊藤 博文公は、 「 わしが、進める清国との和平条約に反対するもん
の指しがねにきまっとる、 陸軍の 息のかかったもんが、糸をひいとるんじゃろ
う。」と、 こんな会話をしていると、 あっという間に引接寺に着いたのです。
聞くと、 寺の門前の人が、 「 石段の上の方にいかれたとです。」と言う、 一行
は、ずかずかと 清国の宿泊所に指定されていた引接寺に急いだのです。
伊藤 博文公と、外務省の職員達は、 急いで 引接寺の境内に向かったのでした。
【明日に続く。】