第1765回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1764話 伊藤博文公の引接寺の見舞いの事。

                            2017年1月30日月曜日の投稿です。




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                      【 門司港  引接寺 】


   1895年 明治28年3月24日の夕刻、 当時の内閣総理大臣 伊藤 博文公

 と、外務省の職員、 警護の警察官などが、 おっとり刀で駆けつけたのは、下関

 の対岸の門司港の引接寺【いんじょうじ】 という由緒あるお寺であったのです。


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     この寺院、 室町時代の永禄年間の創建と伝えられ、1度戦乱で焼失し、

  備後国原城主 小早川 隆景が、天正時代の後期頃に再建を志し、慶長

  3年頃再建され以後、連綿として、朝鮮半島の高麗の通信使節が訪日した

  時の宿泊所となっていた由緒あるお寺であったのです。

  それ故、 当時、清国の和平使節の宿舎としてふさわしいと言う事で、ここの

  お寺に、 李 鴻章【 リッ ホンチャン】 一行が逗留していたのです。



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    寺の門を警備していた警察官の巡査に、「 総理の伊藤じゃ。」と、

   荒い息遣いで名乗ると、 「 けがの具合はどうじゃったんか。」と、問いただ

   すと、「 はっ 顔から血を流され、寺の房に担ぎこまれたとです。」と言う。

    伊藤博文公は、「 これ以上 使節に粗相があってはいけんけぇ、 警備を

   厳重にせい。」と、大声で叫ぶと、 後から、外務省の職員や、警備の警官が

   ぞろぞろと続いて、 引接寺に到着し、 一行は寺の中に駆け込んだのです。

   すると、 住職が応対に小走りで出て来て、「 これは、これは。」と言う。

   「 総理の伊藤じゃ、 ぜひ、急いで清国の使節に面会したい。」と、大声で

   叫んだのでした。

   住職は、「 先ほど、傷の手当てが済みまして、 今、激痛もあって、李 大臣

   は、横になって、痛みをこらえて、辛抱されている最中です。」と言うと、伊藤

   博文公は、「 和尚、 その傷の具合はどうなんじゃ、 顔に、弾丸が命中した

   と聞いて、 春風楼から急いで来たんじゃ。」 と、 こんなお話しをされて、清国

   の 李 鴻章 【リッ ホンチャン】欽差大臣を見舞うことになっていったのです。




  【 明日に続く。】