第1736回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1735話 西京丸での台湾授受式の事。2017年2月20日月曜日の投稿です。






イメージ 1


              【基隆の沖合で 授受式が行われた 西京丸 】




  1895年 明治28年6月2日 台湾総督 樺山資紀 海軍大将の座乗する

西京丸という客船の船内で行われる事になった 台湾授受式には、日本側から

は、 樺山 台湾総督とその司令部の参謀などが出席し、清国側からは、李

経方 大使など数名が出席して執り行われることになっていったのです。

日本側の思惑は、清国の使者に台湾の各部族を案内させ、各部族に、台湾の

支配が清国から大日本帝国に移った事を示し、大日本帝国の統帥下に入るよう

促すことを考えていたようです。



イメージ 2
 
 

          【 初代 台湾総督 樺山 資紀 海軍大将 】


   樺山 台湾総督は、「 この授受式の後、 清国全権には台湾の各部族に

  主権が清国から大日本帝国に移されたことを宣言していただき、吾輩と

  内陸まで同行願いたい。」 と、通訳を通して申し入れを行ったようです。





イメージ 3
 



  そのお話しを通訳を通して聞いた清国全権 李 経方 大使は、驚いた表情

  で、「 ブーシー、ブーシー。」 と、 拒否の申立を行ったそうです。

   通訳が、「 リッ チャング ファング タイシハ、イノチガ ナクナルノデ ジョウ

  リクハ デキマセン ト イッテオラレマス。」 と言うと、 それを聞いた 樺山

  台湾総督は、みけんにシワをよせて、「 おまんら、なにしに、ここにきたとか。」

  と不機嫌そうに言うと、 通訳は続けて、次の様に語ったと言われています。

  当時の清国側の申立は、「琉球や台湾とその周辺の島々は、言葉の通じない

  いろんな民族が暮らしていて、 それぞれの王が独立して統治していて、清国

  によしみを通じるために貢ぎ物を献上している関係に過ぎず、日本側は、台湾

  とその周辺を清国に戦争賠償としてよこせと言う、 これは大きな考え違いで、



イメージ 4
  


  この地域は、戦争には全く関係のない地域で、清国の領地でもなく、領地でも

ない場所を、 大日本帝国に譲り渡すなどと言う事は、 赤間ヶ関でも何度も説明

したとおりで、 一緒に そのような事を 台湾の部族の王に、勝手に台湾を、日本

に渡す話を取り決めたなどと、話すと 殺されるに決まっている。」と申し立てたよう

です。

国際法上、外交使節は受け入れる国側に、その使節の生命を保護する事が定め

られていて、 殺されに行くようなことを清国使節に強要するのは、国際法違反で

ある。」と、 繰り返し申立が行われ、 樺山 台湾総督と、李 全権大使とのお話し

は平行線をたどったようです。


 
 
イメージ 5


 
  日本側から見ると、清国領 台湾であったのですが、 清国側から見ると、

台湾とその周辺の島々は、それぞれ独立した国の連合体で、 毎年貢ぎ物を

献上する 属国であったのです。

  当時、 樺山 資紀 台湾総督達は、 領土と属国の違いがよくわからず、

良く話を聞いてみると、 「 逆の立場ならどうですか、 清国が、「日本に無断で

ロシアに日本を売り渡しました、 日本は、ロシアの領土になったので、ロシア

の言う通りにしなさい。」と、 清国人が、日本人に無断で取り決めを行ったら

ただではすまないでしょう、 ましてや、 常日頃、 台湾近海では海賊行為が

多発し、多くの商船が海賊に襲われいる昨今、 そんな場所に、そんな話を

我々清国人が話をしに行くと、殺されると申し上げているのです。」と言うので

樺山 台湾総督達は、 通訳からのこの申立を聞いて、 ため息をついてし

まったのです。


イメージ 6
 


   すったもんだの話の途中で、薩摩人の樺山 台湾総督、大声を出して、

   清国側に一緒に台湾に上陸するよう、強談に及ぶ事になっていったのです。


  【 明日に続く。】