第1737回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1736話 形だけの台湾授受式の事。 2017年2月21日火曜日の投稿です。





  【 前話の続きから。】


  1895年 明治28年6月2日 台湾総督という職であった、樺山 資紀海軍大将

は、 清国側 全権大使 李 経方 に、台湾の部族の長達に、 清国から大日本

帝国に 台湾が割譲されたことを知らしめる為に、同行するように求めたのですが、

清国側 全権大使 李 経方 が生命に危険が生じると拒否を繰り返し、しびれを

切らして、大声を出して、すごんだのでした。



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          【 初代 台湾総督  樺山 資紀 海軍大将 】




  「 おまんら、なにしにきたでごあすか。」 と、 薩摩の言葉で、どなりつけると

  「 清国全権の生命は、このおいが請負もんす。」と、叫ぶと、 清国側の

  通訳が、 李 経方 全権大使に、ヒソヒソ話をすると、 李 全権大使は、

  片手を 左右にふって、「 ブーシー ブーシー。」 と叫び、 緊迫したやりとり

  が続いたのです。

  通訳が、「 清国全権 リー大使ニハ、 ダイニッポンテイコクノ オハナシハ

  シンヨウデキナイ ト モウサレテオリマス、 ニカゲツマエモ、 セイメイノ

  アンゼンヲ ホショウシマス トイイツツ、 テッポウノタマガ トンデキタデハ

  ナイデスカ。」 と、 突っ込んできたのです。


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    赤間ヶ関市の清国和平講和使節 襲撃暗殺未遂事件は、突発的な出来事

   でしたが、その話しを持ち出されると、日本側は、反論が難しかった様です。

   昼をはさんで、 休会となり、 電信で逐一、 広島の大本営に報告され、

   広島から返信があったのは、 随分たってからのようですが、 山縣有朋

   公の命令というのは、次の様な命令であったようです。





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  「 海上の西京丸で形だけの授受式を早急に終わらせ、 清国全権を帰国させ、

 諸外国に 清国から国際法に則って、戦争賠償で、台湾とその周辺の諸島を

 大日本帝国に割譲する授受式がとどこおりなく完遂されたと、声明をだせ、 貴官

 は、 台湾を近衛師団を用いて平定し、抵抗する者は根絶やしにせよ。」と言う命令

 であったようです。



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  このような経緯から、 清国は、日本側には、台湾とその周辺は清国の領土

ではなく、属国の領土で、 清国は関与しないという立場であったようです。

現在、問題となっている 尖閣諸島周辺は、岩場の無人島で、真水もなく、うち捨

てられた島で、 清国も関心を示さず、日本側も関心が当時なかったようです。

 清国人こと、中国人や、朝鮮人、日本人もそうですが、 台湾の現地の人の

立場で物事を考えた場合、 大変な不法行為で、 例えば、 仮に、ロシアとアメリ

が戦争をして、アメリカが負けて、 日本に何も相談がないまま、「 戦争の賠償金

として、ロシアに日本列島を割譲します。」 という様な行為を、密約したとすると、

日本人からすると重大な不法行為で、 日本人も中国人も、これらの事について

良く考えてみる必要があります。



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  次第に、 これらの事が台湾の各部族に伝わり、 それぞれの部族の王が

 自治が今まで通り出来なくなり、日本人の支配を受ける事になるということが

 わかってくると、日本人を殺してしまえと言う人が増えていき、大きな武力衝突

 に発展していったのです。

  この武力衝突を 乙未戦争 【 いつみせんそう】と呼びます。

  この戦争、台湾でどのような事が起こっていったのか、戦後の日本人は

  知る人は少ないのですが、一緒に毎日少しずつ検証していきましょう。


   【 明日に続く。】