第1740回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1739話 台北占領の事。 2017年2月24日 金曜日の投稿です。





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             【 近衛師団 師団長 北白川宮 能久【よしひさ】王 様 】


 1895年 明治28年6月15日前後に、 台湾の東部の町であった、台北

日本陸軍近衛師団が、戦闘も行わず入城し、町は破壊されることなく、日本

陸軍の手中となっていったのです。



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    当時の台北 現在は たいぺい と読みますが、戦前は、たいほく と呼んで

  いたのですが、 町中には、清国の商売人が多数、家族共々住んでいて、これ

  らの人達は、多いに困惑し、不安がっていたようです。


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   そこへ、近衛師団では、 住民の安全を保証するとともに、清国人には、希望

者には、基隆からの輸送船で、清国の大陸まで送りとどける事を告示し、騒動に

ならないよう配慮をしていったようです。

当時の台北という場所は、 清国人によって、中国式の城塞のような建物や、中華

風の家屋などがたくさん建てられていた町であったそうです。





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   大日本帝国の 台湾総督 樺山 資紀 海軍大将達の司令部は、台北

視察し、 地景や、その様子から、 基隆より、台北の方が土地が広く川もあり

港などの条件もよいと判断し、 台北総督府の町と決めて、 ここを拠点に台湾

平定作戦を進めていこうと考えていたようです。


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 1895年 明治28年 6月17日 樺山 資紀 台湾総督は、台北台湾総督府

始政式なる行事を企画し、 実行して、国際社会に電信でこれらの出来事を知らせ、

台湾は日本の領土であることを宣伝していったのです。

ところが、台湾の南部に陣を構えていた、黒旗軍の 劉 永福 大将軍達は、

打倒日本人を叫んで、 台湾の人達に 日本人に協力しないように呼びかけ、



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                     【 黒旗軍  劉 永福 大将軍 】



  日本人に協力する 現地台湾人は裏切り者と称して、処刑するように部下に

  指示を出していったのです。

  つまり、日本人と話をしただけで、 黒旗軍にそれがしれると 殺されるという

  そういう事態になっていった様です。



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  自分達の民族を 自ら守ると言う事が出来ない場合、 よその清国人や、日本

人の軍隊が勝手にやってきて、双方が戦争を始めて、 双方が、協力者は処刑

するとこういう訳です。

  例えば、 清国の兵士がやってきて、 武器を突きつけて、「 食糧を出せ。」と

 脅迫され、 殺されたらいけないので、 食べ物を差し出す。

 後に、今度は、「清国の兵士に 食糧を提供した、 スパイ行為で、清国の密偵

 であろう。」と決めつけて、 日本陸軍に捕まって処刑される。 こういう悲劇が

 多数起きていったようです。


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  わかりやすく、目線を 日本人に持って来ると、 九州から朝鮮人がやってきて、

 北海道からロシア人がやってきて、 日本人に軍事力がなく、これらを振り払う

 力が無かった場合、 何も出来ないわけです。

 日本の国土で、 外国の軍隊が戦争を始めて、 日本人が巻き込まれていく、

 裁判もなにもなく、申立の機会も与えられず、 言いがかりをつけられて殺されて

 いく、 こうなっていった時に、 平和を口先で唱えていた人が、すべて責任を

 取れるのか、 そうなったら、どうするのか、 こう言う事を良く考えて見る必要が

 ありそうです。


  戦後の今現在も、軍備を無くして 真の平和国家になどと、叫ぶ人がいますが、

 実際、歴史をもう少しよく勉強して、平和を保つ外交とはどういう事か、 外交が

 成り立つにはどのような条件が必要か、 どうやって平和を保っていくべきなのか、

 台湾での出来事を勉強してよく考えて見る必要がありそうです。


 【 明日に続く。】