第1741回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1740話 台湾布陣図の事。 2017年2月25日土曜日の投稿です。
みなさん、台湾という島というか、大陸は、日本の四国程度の大きさがあって、
中央には大きな山脈があって、 山脈の南側には、首刈り族という、土人の
住む地域や、 海賊行為を正業とする部族もあって、それぞれが、独立した
南部の首刈り族という土人は、 どんな集団であったかというと、人の首
を刎ねる風習があって、 小型の船で、輸送船を襲い、日本の民間の船舶など
も餌食となり、明治初頭、50人近くの宮古島の漁師が首を切られる事件が
あったことは以前紹介したとおりです。
中央の険しい山脈は、これらの南部の首刈り族などの仕切りのような、
形となっていて、 清国の、つまり現在の中国側の北部の沿岸は、農地が広
がり、清国人なども住んでいて、 文明が開けていたのです。
後に紹介する予定ですが、 この地方に、アヘン、 つまり麻薬が、清国人
や、フランス人、イギリス人、ドイツ人などによって、持ち込まれ、 アヘン中毒者
が当時急増していたのです。
これらの事に、台湾総督の司令部は多いに難儀をすることになっていくのです。
ところで、1895年 明治28年の6月17日に、樺山 資紀 台湾総督が
抱え込んでいたのです。
どうやって、補給物資を届けるのかと言う事が、まったく見通しが出来な
かったのです。
小銃を撃てば、弾薬が無くなり、 弾薬の補給が必要です。
ところが、以前紹介した、比志島大佐の 台湾混成旅団が澎湖島を占拠し、
これでは、物資を大陸から台湾に送る事が出来なかったのです。
【清国 黒旗軍 劉 永福 大将軍 】
当時、清国は フランスとの戦争で 福建艦隊23隻が撃破沈没し、 後の
日本との黄海海戦で 13隻が撃破され、 海軍が全滅していたのです。
どうやったら、 台湾の 劉 永福 大将軍に補給が出来るのか、智恵を
搾る事になっていったのです。
そして、清国人が考え出した奇計は、 日本海軍に鉄の釘を打ち込むことに
なっていくのでした。
【 明日に続く。】