第1743回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1742話 台南民主國設立の事。2017年2月27日月曜日の投稿です。
1895年 明治28年の6月初頭、 台湾民主国の初代総統 唐 景松さんと
言う人は、 台湾人の現地の老婆に変装し、 総統官邸から持ち出した逃走用の
資金を使いながら、 台北の北の川下の河口の町、淡水に移動し、 ここのドイツ
人の諜報機関 兼 貿易商に金貨を渡し、 商船 アーター号に紛れ込み、台湾
を脱出したそうです。
【 明治28年 6月当時の 日本軍の台湾での配置図 】
当時の 日本軍の布陣を 図にすると このような上のようになり、唐 総統が
潜伏していた 淡水と言う町は、 台北の 北側の港町であったのです。
当時、国際法で、この淡水地方が、イギリス領となっていて、 ここの貿易商
たちが支社を置く、淡水は、 イギリスの施政下で、日本が手が出せなかった
のです。
を盾にして、臨検を受ける事もなく、中国のアモイに向かい、以後、唐 総統は
台湾に戻ることは無かったのです。
【 台湾民主国 初代 総統 唐 景松 】
する説と、 淡水から逃亡した日を滅亡とする説があるそうですか、いずれにし
ても、1895年 6月初頭に 台湾民主国は滅亡してしまったのです。
台北で、 樺山 台湾総督が 1895年 明治28年6月17日に台湾施政式
領土になった事を世界に電信で発信すると、 その翌日、 台湾の西部の町、台南
【 たいなん】という町で、新たな国の建国が宣言されたのです。
台南 という 町に 独立を宣言した 台南民主国 は、 民主とは名ばかり
の独裁軍事国家のような、 軍人により設立された国家でした。
【 台南民主国 劉 永福 総統 】
総統には、 中国の広東からやってきて、 台南に駐屯していた、清国の
総統を名乗り、 「 日本人に協力する者は、見せしめに皆殺しにせよ。」と命令を
出して、 台湾の現地の人達に、武力で圧力をかけていったのです。
とに分かれて 武力闘争を行う事になっていったのです。
【 明日に続く。】