第1757回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1756話 三国艦隊の圧力の事。 2017年3月13日月曜日の投稿です。



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   1895年 明治28年4月17日 に山口県赤間ヶ関市【 現在の下関市

 の春帆楼で、日本と清国の講和条約が締結されたのですが、清国人に騙され

 た形となっていき、 台湾の新竹の攻防戦が行われていた7月頃になると、

 騙された当時者の外務省は、北京に出向いて約束を実行するように交渉

 していたようですが、清国側はのらり、くらりとして。埒があかない状態であった

 ようです。



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  当時、日本が占領していた 遼東半島には、東京第1師団、名古屋第3師団、

 広島第5師団が展開し、 占領地の維持をしていたのですが、 ここをロシア帝国

 が 清国から 金銭で借り受けたので、撤退するよう圧力をかけてきたのです。

 当時ロシアは、冬季に港が凍らない場所を求めていて、 この遼東半島を植民地

 化して、 いずれは清国が弱ったら戦争を仕掛けて、中国東北部を占領しようと

 当時企んでいたと伝えられています。


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    遼東半島の対岸の 山東半島には、 熊本第6師団、 仙台第2師団が

  当時展開していて、 この山東半島も、 清国から金銭で山東半島を借り受けた

  という 大ドイツ帝国と、 フランス共和国が日本軍の撤退を要求してきたのです。



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   各国は 海軍の艦艇を派遣して、日本側に圧力をかけてきたのです。

 当時 大ドイツ帝国は、 世界第2位の海軍力を持っていて、 さらに前年清国

 艦隊をわずか1時間で23隻撃破したことでしられる フランスの艦隊もやってきて

 そして、ロシア帝国も 太平洋側に 艦隊を派遣してきたのです。


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     そのような事から、 明治28年7月、 日本国民は知らされていなかった

  のですが、黄海は、各国の艦隊が集まり、日本側に無言の圧力をかけていった

  のです。

  この3カ国の圧力をはねのけて、 日本海軍と3カ国の海軍と1戦交えるのか、 

  どうするのか決断を迫られていったのです。


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   当時の世界情勢として、サイパン島などの南洋諸島は ドイツ領となっていて

 ここからドイツ艦隊がやってきて、日本が攻撃される恐れがあったのです。

 そして、前年 ベトナムにはフランス軍が駐留していて、23隻のフランス艦隊が

 九州方面に来襲する恐れがあり、 当時アメリカは、フィリピンを植民地にしようと

 戦争の準備に入っていて、 さらに、ロシア艦隊が 日本海側から攻め寄せて

 きた場合、 どうするのか、 日本陸軍の師団は、遼東半島山東半島、台湾へ

 と配置されていて、 日本本土は手薄の状態であったのです。


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   日本が フランス、ドイツ、ロシアを相手に 海軍が戦闘を行い、 敗れた場合

  どうなるのか、 かといって、 3カ国の要求を飲んで、 すんなり撤退した場合、

  その先どうなるのか、 日本の国民の世論の大反発を招くことになり、難しい

  判断を行う事になっていったのです。


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       すべては、4月17日の 春帆楼での 外交交渉の詰めの甘さが原因

       であったのです。

       同時、内閣と外務省は、陸軍からも強硬な圧力を受けていて、長い

       暑い夏を迎えていたのです。


       【 明日に続く。】