第1758回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1757話 広島大本営御前会議の事。 2017年3月14日火曜日の投稿です。





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  昭和の戦後、知る人は少なくなったのですが、明治28年当時、大日本帝国

首都は、東京ではなく、広島市であったのです。

 広島市内の 広島城が 宮城と呼ばれ、 この中に 大本営という、総司令部が

設置され、 ここで大日本帝国の方針が決定されていったのです。



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   1895年 明治28年 7月に、 ロシア帝国フランス共和国、大ドイツ帝国

  の艦隊が黄海に展開し、 緊張が一気に高まり、 一戦するか、後退するか、

  どのように対処するか、 伊藤博文 内閣総理大臣の司会で、御前会議が開か

  れたのです。

   注目されたのが、 日本海軍の3カ国の艦隊に対する勝算の報告であり

   ました。

   つまり、現状の戦力で、 これらの理不尽な要求をしてくる3カ国の海軍に

   日本海軍が対処出来るのか、どうなるのか、 閣僚等が注視したのです。



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                【 海軍軍令部長 伊藤 祐享 海軍中将 】


   先の連合艦隊司令長官で、当時 海軍軍令部長であった、伊藤 海軍中将

 は、3カ国の艦隊が同時に攻め寄せてきた場合、 海軍が勝つとか、負けるとか

 は別にして、現在の陸軍の輸送船が行き交う、 佐世保から 台湾の間の航路

 と、 対馬海峡、釜山、旅順、威海衛までの航路の安全確保が難しく、 それぞれ

 の陸軍の師団への補給が出来なくなり、その先、現地では、食糧弾薬が欠乏し、

 日本側に、大きな災いとなるであろうと、報告がなされたのです。

 つまり、海軍としては、 もし3カ国と開戦した場合、 どうしても 対馬海峡

 防衛し、山東半島や、台湾への艦船での陸軍の輸送船への護衛活動は、能力

 外であることが報告されたのです。


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                  【 陸軍大臣 大山 巌  陸軍大将 】

   そして、 ロシア帝国が シベリア鉄道でヨーロッパから兵力を移動して

   満州から遼東半島に攻め寄せてきた場合、 清国が停戦協定を破り、連合

   して 清露連合軍が攻めてきた場合、どうなるのか、 今の陸軍の兵力で

   戦ったその先はどうなるのかーーー議論が重ねられたようです。

   結論として、 現状の国力では、 世界第2位の海軍大国 大ドイツ帝国

   海軍や、2年前に 清国海軍をたたき伏せた、フランス海軍が、南洋諸島

   インドシナ【 現在のベトナム】から攻め寄せてきた場合、対応が難しいばかり

   か、 北のウラジオストックから、 ロシア極東艦隊が 攻めてきた場合、 日本

   は窮地に立たされると言う事が認識され、 これらの3カ国の要求をのんで、 

   せっかく占領した山東半島遼東半島から 撤退せざるおえないとの 結論に

   至ったようです。



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   問題は、国民にどう説明するのかという点に絞られていったのです。

  各新聞を通じて、 大日本帝国大勝利と情報を流し、 多いに宣伝していた

  当時、 3カ国の脅迫で 尻尾を巻いて逃走して、 多くの兵士が血を流して

  獲得した 占領地を手放したと言う事が知れると、大変な事になると考えたよう

  です。



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   そのような決定を発表すれば、 一般国民もそうであるし、 陸軍や海軍の

  将兵から 非難を受けるのは必定で、 当時外務大臣を兼ねていた、内閣

  総理大臣 伊藤 博文公は、 難しい決断を迫られていったのです。


   【 明日に続く。】