第1760回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1759話 桜井小隊事件の事。 2017年3月16日木曜日の投稿です。






イメージ 1


  前話で紹介したように、 支那人に騙されることになった、伊藤内閣総理大臣

は、国内外に対しても、面目丸つぶれとなり、 外務省の主導で行った 日清の

和平講和条約は紙くずとなり、急いで後始末に追われていった 1895年 明治

28年の7月頃、乙未【いつみ】戦争と呼ばれる台湾平定作戦は、近衛師団の兵力

消耗で、膠着状態になっていったのです。



イメージ 2



  その兵力消耗の主な原因は、風土病と言う、日本には無い 台湾独自の病気

近衛師団の兵士が次々倒れ行き、 その数 数千人、 その病気が、 健康な

兵士に伝染していき、 近衛師団では、お手上げの状況になっていき、進撃どころ

ではなくなり、部隊はその場に駐留を余儀なくされていったのです。

そのような中、 占領地をパトロールして、 住民から武器を取り上げてしまう、

刀狩りのような事が、 近衛師団の残りの部隊によって、 暑い7月の中、

台湾東部で行われていったのです。


イメージ 3
 


   その方法とは、 小隊事に移動し、巡検と称して、村を包囲し、その上で、

家に強引に押し入り、 家捜しして、 武器を取り上げるという方法であったのです。

 1895年 明治28年7月14日 近衛第3連隊 第6中隊の中隊長から、命令を

受けて、 移動中の 桜井 特務曹長以下 35名は、暑い灼熱の太陽の下、

 2列で、分隊事に移動していたのですが、 後方の分隊がどういうわけか、姿が

見えなくなり、 桜井特務曹長は、 部隊を停止させ、 前方の偵察に、3名の兵士

を先発させ、 後方の分隊の様子を見に行くため、同じく3名の兵士を後方に向か

わせ、 自身と、残りの小隊の兵士は小休止をとったのです。

後ろに向かった、伝令の3名は、後の分隊を捜して 一路急いだのですが、その後

発見したのは、 全滅した後衛の分隊の姿であったのです。


イメージ 5




  3人は驚いて、 申し合わせ 来た道を急いで戻ろうとした瞬間、 音のしない

 兵器、 つまり、弓矢で林の中から攻撃され、 3人ともあっという間にその場で

 殺されてしまったのです。



イメージ 4



  当時、この矢の矢じりには、毒が塗ってあって、 これが刺さると、致命傷で

なくても、全身がしびれて動けなくなり、あの世行きになると言う恐ろしい猛毒で

あったそうです。

 小銃を発射するわけでないので、 まったく音がせず、 わざと 前の部隊を

やりすごし、 後の 油断した部隊を襲撃していったのです。 


   前方で、小休止していた、桜井 特務曹長達は、前方に偵察に出していた

 3名の兵士が戻ってきて、「 申告致します、 前方は何もありません。」と報告

してきたのですが、 後に連絡に出した3名は戻ってこず、 そして 後衛の分隊

も姿を見せなかったのです。

  桜井 特務曹長は、 数分いらいらしながら、待っていたようですが、ついに

 思い立ったように、 第3分隊の軍曹を呼び、「 おぃ、 どうもおかしい、貴様の

 分隊で用心して後を見てこい。」 と命令し、 第3分隊の10名は、来た道を

 戻っていったのです。



イメージ 6


 しかし、いつまで待っても、これらの分隊の兵士も又、戻ってこなかったのです。

 桜井 特務曹長は、 「 なにをやっとるのかーー。」と、 かんかん照りの暑い

 夏の日差しの中、 ついに、 「 全員 出発。」 と、号令し、来た道を戻ることに

 なっていったのです。

 これが、 相手の思うつぼであったのです。



     【 明日に続く。】