第1771回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1770話 台中調略工作の事。 2017年3月27日月曜日の投稿です。
1895年 明治28年の8月中旬頃、 近衛師団や、第2師団の連隊長や
大隊長などの佐官が次々、伝染病と思われる症状で倒れていった当時、
台湾総督府の司令部が主導する、 台湾人行商人を使用した、台湾人の
地主への調略工作がうまい具合に進んで行き、 台中の 苗栗 付近が、
大日本帝国側に帰順し、 次は 台中の彰化付近の台湾人地主に対して
調略が開始されたのです。
当時、 清国は 大日本帝国との戦争で大敗し、国際条約で、台湾の領有権
を放棄していて、 清国の残党に協力しても、 国際社会は台南民主国を国として
認めないであろうと言う、宣伝活動を、日本人が行わず、台湾人の行商人が
現地で流布して歩くことで、 清国人と、台湾人の間に溝を作っていく、宣撫
作戦が行われていったのです。
そして、合わせて、清国に帰国したい者、 台湾人でも清国に行きたい者は、
とがめられず、誰でも、平穏に清国に船で帰国できる、清国帰還事業が開始される
ことが宣撫されていったのです。
そうすることで、台湾で活動する清国人を投降させ、 清国に強制送還する
作戦も合わせて始まっていったのです。
このような話が広まっていくと、 現地の台中の台湾人の中には、台南民主國
の清国人に見切りをつけて、 日本側に走って行く人が増えていったのです。
【 台南民主國 劉 永福 総統 】
このような 台中での日本側の調略工作に対して、 台南民主國側は、
離間の計を考えて、 台湾人と日本人の間にくさびを打っていったのです。
【 明日に続く。 転載、コピー可 自由 】