第1772回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1771話 乙未戦争 雲林事件の事。 2017年3月28日火曜日の投稿です。
1895年 明治28年8月頃、 日本の近衛師団は、台湾行商人の台中宣撫
工作の成功で、台中の周辺の地主達が、台南民主國の清国人達と、袂を分かち
大日本帝国側に協力することになり、 その占領地域を、8月29日、たいした戦闘
を行うことなく、彰化という町をその勢力下におさめていったのです。
ところが、 日本の近衛師団の知らない場所で、 現地の台湾の婦女子が
襲われて、 強姦の末、殺害される事件が相次いでいったそうです。
どういうわけか、 犯人は日本人の軍夫で、女を襲い、手ごめにした後、 情け
容赦なく、 台湾人の女性を殺害する事件が 続いて行き、近衛師団の司令部
では、当時、 なにがあっているのかわからない間に、 どういうわけか 日本人
が悪者にされていったそうです。
「犯人は、日本人の軍夫。」 と言うのは、 現地の台湾の言葉でどんどん拡大し、
反面、 犯人などは一切 逮捕されなかったそうです。
この事件、 近衛師団の兵士では無いことは確実なことで、 当時、軍夫などは
当地方が 危険地帯のため単独で動くことはなく、必ず、ゲリラに襲われる事が
予想されていたので、 必ず近衛兵の護衛がついて 物資の輸送が行われてい
た当時、 考えにくい 出来事であったようです。
日本側は、 「 台南民主國の 清国の工作員の仕業ではないか。」と、考えて
いたようですが、 「 日本軍は、台湾の女を襲い、 家々の中に入って、強姦や
強奪を働く、どんでもない輩である。」との 噂が 台中の地主達の間でどんどん
広がって行き、 ついに、 台中の大地主の1人 蕑 義 という人達が500人
程集まり、 日本側と手を切って、 台南民主國側に協力し、 日本側を攻撃して
来るようになっていったそうです。
そして、蕑 義 という人達が、 台南民主國の清国人に味方をしたと伝わると
今まで、日本側に協力することを表明していた 他の台中の地主達が、日本側を
裏切り、 彰化に進んだ 近衛師団は、孤立していくことになっていったのです。
この事件、 日本側と 台中の人々の間を裂く、離間の計で、清国の工作員
が自ら、強姦や殺人を行い、 台南の台湾人を使って、「 日本人軍夫の仕業。」
と、噂を宣撫した歩いたという説、 それから、 台中の反日組織が、 地主達の
考えを変えさせようと、 自作自演で、 強姦、殺人を行ったという説と、 噂通り、
日本人の犯行であったという説が存在するのですが、 近衛師団が兵を進めて
ゲリラに襲われぬよう、警備を固めていたその当時、 日本人が危険を冒して
単身、 ゲリラに襲われるのを覚悟で 台湾人の女性を襲いに行ったというのは
少し おかしいお話しで、どうも、 清国人の工作員の犯行という説が濃いようです。
このような出来事があって、日本の近衛師団は彰化に進駐したのですが、
周囲を台湾人に包囲されて、 後方と連絡がつかなくなっていったのです。
【明日に続く。】