第1775回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1774話 乙未戦争 近衛師団長倒れるの事。 

                         2017年3月31日金曜日の投稿です。






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 日本陸軍近衛師団や仙台第2師団や、澎湖諸島の馬公に上陸した 混成

旅団の兵士が次々原因不明の伝染病らしき病気に感染し、数千人が満足に治療

を受けられず現地でのたれ死んでいったお話しを紹介してきましたが、 実は、これ

らは、当時極秘中の極秘事項で、 敵、 つまり相手側に伝わると、こちらの弱みを

見せることになるので、 極力隠密に伏せられたのです。


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                【  近衛師団 師団長 北白河 能久親王 】




  日本の近衛師団の当時の師団長であった 北白河 能久親王様が、台湾で

 崩御された正式な日にちは、 1895年 明治28年10月28日となっているの

 ですが、この日にちには、諸説があるのです。

 と言うのが、 能久親王様が亡くなられてから 極秘扱いとなり、その死は、台湾

 を平定して、 相手側の抵抗がほとんど無くなってからであったそうです。



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                   【 近衛師団 司令部の古写真 】


    言い伝えによると、 台中に司令部を進めた 8月後半に、寒気などを

   訴えられ、翌9月に既に亡くなっていたと言うお話しもあって、 よくわかって

   いない日本陸軍史の謎の部分です。

   どうして、このような話が出て来るかというと、 当時 多くの人が8月に発症

   して9月に亡くなっているのです。



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     青森歩兵第5連隊 連隊長 渡部 進 陸軍中佐も この8月の後半

   に倒れ 翌月の9月15日に 新竹の隔離所で亡くなっていて。



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    近衛第3連隊 連隊長 の中岡 祐保 陸軍中佐も 8月に倒れて、

  翌月の9月4日に 病死されていて、 この時期、実に多くの佐官、将校が

  伝染病で亡くなっていることからすると、 北白河宮能久親王様も、おそらく

  8月に発症し、9月に死去され、 その死は極秘にされ、 騒動が落着した

  10月の後半にその死が発表されたようです。

  当時、台湾人に毒を盛られたとか、 いろんな言い伝えがあるのですが、

  その後のお話しで その症状から マラリアを発症して、 肝機能不全で

  亡くなられたのではないかと推測されています。



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  このマラリアという病気、昭和18年に 源田 實 参謀【 後の航空幕僚長】が

 ラバウルで感染し、全く回復せず、重篤となり、本国送還となって別府の温泉

 旅館で養生することになるお話しはまた順を追って紹介する予定ですが、驚い

 た事に、現地の人は発症せず、日本人だけ発症するのだそうです。

  明治28年当時も、台湾人は発症せず、 日本人のみ発症していたそうで、

 蚊によって、 伝染する伝染病であったようです。

 マラリア原虫という 虫が蚊によって 体内に入り、 肝臓などに寄生し、肝

 機能障害を起こし、40度近くの高熱でうなされる病気だそうで、恐ろしい病気

 であったそうです。




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   この乙未戦争で 日本陸軍は、現地の日本人の知らない風土病に多いに

   悩まされ、多くの人が亡くなり、 これらの病気を持った人が、本土に戻ると

   伝染病が日本国内に拡大する恐れがあり、 これらの防止策など、その対策

   に追われることになっていくのです。

 
  
   【 明日に続く。】