第1778回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1777話  乙未戦争 台南上陸作戦前夜の事。

                         2017年4月3日月曜日の投稿です。



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    1895年 明治28年の9月、 多くの人が乙未戦争中、台湾で 現地の

 伝染病に感染し、どんどん死んでいき、 その数、4千人以上という被害が

 発生していた当時、 一刻も早く、台湾を平定することが求められていたのです。



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         【 乙未戦争 1895年 明治28年 9月頃の布陣図 】


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    当時、近衛第2旅団を主力とする部隊は、台中の彰化付近を占領し、

    少しずつ西に駒を進めていた状態でありました。


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     台湾東部の港町 基隆【キールン】から、仙台第2師団の援軍を輸送船

    で 澎湖諸島 馬公に転進させ、 連合艦隊がこれを護衛することとなって

    いったのです。


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   この澎湖諸島というのは、台湾海峡の真ん中に存在し、 ここを日本側が

  押さえたことで、 大陸と台湾の連絡を遮断し、 ここの馬公という町を拠点

  として、10月に台南上陸作戦が準備されていったのです。



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   乃木 希典 陸軍中将指揮する 仙台第2師団、4個連隊は、馬公に集結

  上陸作戦の開始命令を待つことになって行ったのです。


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    その上陸地点は、台湾西部の高雄市付近の海岸となっていたのですが、

  日本海軍では、 上陸に都合の良い 長大な砂浜の場所を隠密に挺進し、

  現地を偵察することになっていったのです。


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   台南民主國側は、 日本側の動きが、水平線のはるか向こうの出来事で、

  事態を把握できず、 後方から 仙台第2師団に上陸されて攻撃される

  事になっていくのですが、 まったく気がついていなかったようです。


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     いよいよ、台湾を平定するための陸海軍協同の上陸作戦が始まろうと

     していたのでした。


     【 明日に続く。】