第1792回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1791話 アーネスト メイソン サトウ特命全権駐日公使の事。

                      2017年4月16日 日曜日の投稿です。



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     【 前話 第1790話の続きより。】


    1895年 明治28年の10月の中旬に発生した、 日本海軍の通報艦

 八重山と、 イギリス船籍のテールス号との事件は、その後どうなっていったかと

 言うと、 香港総督から大英帝国の首都 ロンドンに報告され、 現地で大きな

 主権の侵害と報じられ、 「 生意気な行動を取りだした 大日本帝国に鉄槌を

 打つべし。」 との意見が多くなっていったのです。



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 前年の 髙陞号 【 こうしょうごう】 事件の時と違い、随分当時、英国国内で

 大日本帝国に対して反発が強かったようです。


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 大英帝国側も、この事件を放置すると、第2の事件に発展することを考えて、

 駐日英国公使に、大日本帝国に厳重に抗議して、関係者の処分を要求する

 ように命令が発令されたようです。



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                 【 明治時代のイギリス大使館 古写真 】


   当時の駐日英国公使は、 アーネスト メイソン サトウ という全権公使で

  ありました。

 

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               【 通訳時代の若い頃の アーネスト サトウ 大使】




  アーネスト サトウ 駐日全権公使は、若い頃から語学に堪能で、 日本にも

長く滞在し、日本の幕末の頃、薩英戦争の頃、 通訳として来日し、戊辰戦争時期

から明治時代のことをよく把握している 知日家の英国公使で、 桜の花が好きな 

穏やかな人であったと伝えられています。

そして、後に内閣総理大臣となる、早稲田大学を造っていった 大隈重信さんと

仲がよい人で、 ツーカーの間柄で、 一緒に旅行に行って、 酒を酌み交わす

間柄として 当時知られていた人でした。

 そういう アーネスト サトウ 英国大使は、 日本に対し、テールス号の事件で

海軍関係者を処分し、二度と国際法に違反しないよう、大日本帝国に釘を刺す

事を命令され、実行していくことになっていったのです。



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   アーネスト サトウ 駐日特命全権公使は、馬車を外務省に進めて、

  外務大臣不在の 外務省を訪れた様です。


   「 エイコク チュウニチ トクメイ ゼンケン コウシ ノ  アーネスト デース。

  「 ガイム ジカンニ メンカイ シキュウ オネガイシマース、イソイデクダサーイ。」

  と、どかどか 外務省に乗り込んでいったようですが、当時、外務大臣であった

  陸奥 宗光 さんは、結核を発症し、血を吐いて倒れ、入院し、 外務次官で

  あった 林 董【 ただす】 さんは、 例の 清国との和平条約の後始末で、特命

  全権大使として、伊藤博文内閣総理大臣に頼まれて、清国に出向いて 難題

  に対処中で、 当時の外務省は、後に内閣総理大臣になっていくことになる



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                   【  当時の 原 敬  外務次官 】


   原 敬 外務次官が 応対にあたることになっていったのです。

   そうーー私達が江田島海軍兵学校の生徒の頃、東京駅で中岡なる

   若い男に刺し殺された、 あの 原 敬 総理大臣が若い頃の出来事で

   ありました。


     【 明日に続く。】