第1796回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1795話 有地 品之允 海軍中将の事。 2017年4月20日木曜日の投稿です。




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   【 前話 第1794話の続きから。】


  1895年 明治28年の11月16日に発令された、日本海軍の連合艦隊

解散と、 その司令長官 有地 品之允 【ありち しなのじょう】海軍中将の

解任と、待命、予備役という処分は、日本海軍のメンツ 丸つぶれの結末となり、

 これを聞いた 大英帝国も、「有名な提督が、海軍をクビになったらしい。」と

言う事で、それ以上の賠償金などの請求も無かったようです。

 



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               【 有地 品之允 海軍中将 山口県出身 】


  世界でも有名な提督であったというのは、 今の戦後の社会では忘れ去られ

知る人は少ないのですが、世界の海軍関係者、海運関係者からは、大変注目され

尊敬を集める人であったのです。


                    「  海軍衛生学。」

  と言う分野で、画期的な取り組みを推進し、 当時遠洋航海の難題であった

  原因不明の病気を無くしていった取り組みが世界的に評価されていたのです。

  

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                  【 日本海軍  龍譲  りゅうじょう 】




  テールス号事件の12年ほど前の明治16年の夏場の遠洋航海で、日本海

の龍譲の乗組員の3分の2が倒れて動けなくなる事件が発生し、大きな問題と

なったのです。

これを りゅうじょう事件と呼びます。


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                     【 日本海軍 筑波 つくば 】


 その翌年、 今度は、明治17年 筑波が遠洋航海の最中、同様な症状で23名

が死に、多くの人が倒れて動けなくなるという事件が発生したのです。

 これを 筑波【つくば】事件と呼びます。

 この時の艦長が、 有地 品之允 海軍大佐 でありました。

 これらの人の死を無駄にしないように、二度と同じ事にならないようにという

 心がけで、遠洋航海での原因不明の病気の特定と、改善に取り組まれたのです。

 これは、当時の世界の海軍や、商船などを運航する海運関係者の同様の悩み

 でもあったわけです。 

 「 日本人は、米と味噌と漬け物があれば、3年はーーー云々。」と言うお話しが

 ありますが、当時はまさに、そういう考えの基に、食糧品を艦艇に積み込み、

 遠洋航海に出発しては、 多くの人が倒れていったのです。





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              【 高木 兼寛 海軍軍医総監 海軍少将並 】


   これらの死んでいった死者の病状を研究したのが、高木 兼寛 軍医総監

 で、 脚気 【かっけ】という病気と特定して、 その原因が食事にあると解明した

 のです。  

 当時、まだ ビタミンという物質が知られていない状態で、 米とか、味噌だけ

 食べていると、 歯茎から血が出て、人間は死んでしまうのです。

 そう言うわけで、果物や、生野菜を食べることは非常に大切なのです。



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              【 麦を食べていると 健康維持に有益である。】


    脚気などの ビタミン障害を防止するのには、 この麦という食べ物が

  非常に良いと言うことも、当時発見して、 海軍の全艦艇に知らせていったのも

  有地 品之允 さんであったのです。



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                 【 日本海軍では脚気防止の為、パン食が明治時代に始められた。】



   そして、海軍の食事に、パンなどの洋食を取り入れていったのも、有地さんが

 進めていったことでありました。


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          【 海軍では、艦艇生活の栄養補給に気を使っていた。】




 パンを 艦艇で焼いて食べると言う習慣は、 有地さんが推進して行ったことで、

 パンは 脚気の防止となり、 身体に大変良い食べ物であったそうです。


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 【 時期によって差異があるが、米6から7割 麦3から4割程度が基本であった。】




   それから、白米のみの炊飯から、必ず麦を4割程度混入して炊飯する

 という事も、有地さんが始めて推進したことです。


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         【 白米だけ食べていると、脚気の症状を発症し、死に至った。】




   とにかく この白米だけで 食生活をしていると、人間倒れて死に至るという

 事を、 部下に調べさせて、取りまとめて、日本海軍全体に広報して、改善して

 いった功績というのは、大変すばらしいものでした。



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 【海軍カレーは 麦飯、たまねぎ、りんご、 貝、エビ、鶏肉が基本であった。 】




    そして、海軍で毎週土曜日にカレーを食べる習慣を取り入れていったのも

   有地 品之允 海軍中将でありました。

   当時のカレーというのは、汁かけ御飯風の品物で、 必ず麦飯と一緒に

   いただく、 そして 艦艇での常温で長期保存が可能な、たまねぎ と、りんご

   をカレーに入れて、 ビタミン不足を補うメニューとしていったのも、有地

   さんの推進した事であったのです。

   そう言うわけで、本歌の海軍カレーというのは、 豪華なものでなく、

   ジャガイモや、にんじんが入っていて、白米のみのカレーライスは、違う

   品といわざるを得ないわけです。


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                   【 甲板での食事の風景 】



   日本海軍の朝ご飯は、焼きたてのパンであったのは、 脚気という病気の

  予防の健康維持の為で、いろんな人が 遠洋航海中、 倒れて、動けなくなり

  歯茎から血を流して、動けなくなっていき、亡くなっていった事件が、複数回

  あって、 その人達の犠牲の上に、 やっとたどり着いていった 解決策で

  あったのです。

  東郷平八郎元帥のように、 海戦での武勲は無かったのですが、船乗り

  からすると、 大変重要な発見をして、 その改善に取り組み、日本海軍では

  当時、世界の海軍から注目されていたのです。


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   みなさん、長生きの秘訣は、食事に有りでして、 肉だけを食べて野菜を食べ

  ないとか、 ヒットラー総統のように、野菜だけ食べて、肉は嫌いだから食べない

  とか、 そういう人は、早く体がおかしくなって死んでいくようです。

  栄養バランスを みなさんも一度 胸に手をあてて、考えて見ていただけたら

  と思います。


   【明日に続く。】