第1798回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1797話 遼東半島返還交渉の相手の事情の事。

                          2017年4月22日土曜日の投稿です。



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               【  林 董  はやし ただす  日本国全権大使 】


    旧幕臣で 五稜郭の戦いで、最後まで抵抗した、林 董 外務次官は、

 1895年 明治28年の5月に、 外務次官を退任し、後の内閣総理大臣となる

 原 敬 さんに、外務次官の引き継ぎをすると、対清国との 日本側全権大使

 として、天津経由で、北京に出向いたそうです。



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   当時、 天津というのは北京の南にあって、 北京に至る窓口の港町で

あったようです。

  


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     こうして、地図を見ると、 山縣 有朋 公が「北京に進撃するべし。」と

    申立てていたのがわかるような気がしますが、 近そうに見えて、とてつもなく

    広い大地の国でありました。

    3ヶ月前まで戦火を交えていた国でありますので、相手に殺される可能性も

    あって、 最後の別れ杯を酌み交わして、覚悟を決めての賠償金交渉への

    出発だったようです。


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    当時の清国の内情はどうであったかと言うと、 西太后という人が、気に入

  らない人は、本人のみでなく、親戚縁者 みな捕らえて、それらしい罪を作って

  公開処刑を行って、恐怖政治を行っていたというのが実情でした。

  子供や親戚を放置すると、いずれ刃を向いて、 襲いかかってくる、その前に

  皆殺しにしてしまおうという、 そういう考えであったようです。


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   そんな政治が続くと、 地方では、「どうせ殺されるなら、大暴れして、相手を

  相打ちで殺してやろう。」 というそう言う人達が出て来るわけで、不安に駆ら

  れた、地方の権力者の反乱が相次いでいたようです。

  そのような中、 清国と日本の周辺はどうであったかと言うと、大変な状態で

  あったのです。



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   アメリカ合衆国政府は、 強引に ハワイ王国を武力制圧して、領土とし、

   次の侵略の目標を、 スペイン領 フィリピンに定めて、 フィリピンの現地の

   部族に、 武器弾薬を供給して、反乱を煽動して行ったのです。


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       フィリピンを占領しているスペインの軍隊と、フィリピン人を戦わせ、

       両者が弱ったところで、 アメリカが軍隊を進めて、占領してしまおうと

       こういう作戦であったようです。

       つまり、フィリピンの人は利用されていたわけです。


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     オランダは、現在のインドネシアを武力制圧して、植民地にして、支配を

   強めていたのです。



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   イギリスは、マレー半島を占領し、アヘンを中国大陸にばらまいて清国と

 対立し、アヘン戦争に勝利して、 香港を占拠し、清国から巨額の賠償金を獲得

 し、その後、台湾などに拠点を設け、アヘンを売って、巨額の利益を上げていたの

 です。


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   フランスは、現在のベトナムの王朝を侵略し、 応援の援軍としてやってきた

  清国の艦隊を撃破し、 ベトナムを占領し、植民地とし、 清国から多額の賠償

  金を獲得して、 タイ王国に攻め込んで、戦争をしていたのです。



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    ドイツは、サイパン などの南洋諸島を占領し、 当時、イギリスに次ぐ、

  世界第2位の海軍力で、 日本の小笠原諸島などに迫っていたのです。

  つまり、ドイツと対立すると、房総半島などを攻撃される恐れがあったのです。



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  当時、ロシアは、政治犯や、征服した土地から、強制連行した奴隷を使用して

 豊富なシベリアの木材を伐採し、 日本が占領していた 大連、旅順を押さえて

 ここを貿易港として、 シベリアの開発を推進していこうとしていたのです。

 それ故、日本が邪魔になっていったのです。


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     このような事情で、日本の周囲は西洋諸国が進出し、次は日本が戦争を

   仕掛けられ、 占領されるか、 又は、多額の賠償金を請求されるのではない

   かと考えられ、伊藤内閣は危機感を募らせていたのです。

   そして、相手の清国は、 西洋諸国に戦争で負けて、多額の賠償金を支払

   わされ、その情報が広い国内に広がって行くと、 反乱が多発して、年貢が

   入らなくなっていったようです。

   つまり、収入が激減していき、経済的に困窮し、 国が衰退していったの

   です。


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   そして、日本側の外交団が、北京に赴き、 追加の賠償金を請求すると


   「プーシープーシー。」 を連発して、「そんなお金は 払おうにも、払えません。

   もうーーお金はありません。」 という返事しか返って来なかったそうです。

   イギリスに多額の賠償金と領土を取られ、 フランスに多額の賠償金を取られ

   その都度、軍隊が壊滅に近い打撃を受け、 国内で反乱が相次ぎ、

   そして 今度は日本が攻め込んできて、 賠償金を支払えと言う、 もうーー

   清国にはお金が無かったようです。



   【明日に続く。】