第1800回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1799話 明成皇后殺害事件の事。 2017年4月24日月曜日の投稿です。
清国の北京で、 日本の 林 董 清国全権大使達が命をかけて外交交渉
を行っていた、1895年の10月、 ちょうど台湾では、近衛師団と仙台第2師団
などが、 台南軍を包囲して、攻撃していた当時、 朝鮮半島ではどうなっていた
のかというと、 長い間 毎年清国から貢ぎ物と称して、 莫大な金銭を持って
いかれていた、朝鮮では、 日清戦争で日本側が勝利し、 清国が朝鮮の
権益を放棄したため、 それがなくなり、人々は多いに喜んでいたのもつかの間、
その半年後、 朝鮮王宮で、日本人と朝鮮人らによる襲撃事件が発生し、人々は
友好から、反感に変わっていったのです。
この 騒動で殺されたのは、 朝鮮国王の皇后 明成皇后でした。
どうして、この女の人が、 日本人と朝鮮人の改革派の開化派と呼ばれる人達
によってたかって殺されなければならなかったのか、日本の戦後の学校の歴史
の教科書にも載っていない出来事ですが、 大変重要な分岐点のような事件で
あったのです。
日本人が、もう少し、腰を据えて、新聞報道に惑わされない、ちゃんとした
考えを持ち合わせていたら、このような事件や、 その後の抗日活動などは
なかったかも知れません。
この事件の中心となったのは、 朝鮮の京城にあった、日本公使館だったと
伝えられています。
この事件、非常にわかりずらく、犯人として逮捕された人達が、 全員無罪と
なったという事件で、 次回から 少しずつ、当時 何があったのか、勉強
していきたいと思います。
【 明日に続く。】