第1801回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1800話 朝鮮人と日本人の溝の始まりの事。
2017年4月25日火曜日の投稿です。
戦後の昭和20年から25年にかけて、当時の吉田 茂 内閣総理大臣などが
ます。
戦後の日本人の多くの人が忘れているのですが、当時朝鮮人は暴動を起こし、
市では朝鮮人約200名が一斉に暴動を起こして争乱となり、関西方面、 日本の
至る所で、暴動を起こして、日本人を襲っていったのです。
朝鮮半島では、 日本人が集団で襲われ、財産を奪われ、収容所に入れられ、
亡くなっていったり、 ご婦人方が朝鮮人に襲われ、大変悲惨な性的暴行行為が
平然と行われたのですが、当時日本は 無条件降伏した占領下で、国がなかった
ので、何も対策が打てなかったようです。
そうーー、当時は日本人の国が無かったので、殺されても文句を言ったり、
対策が打てず、 シベリアに何万人も連れて行かれ、多くの人が凍死や餓死、病死
に至り、 朝鮮半島でも、多くの人が殺されていったのです。
これらの出来事を日本人の教員が学校で教えないので、忘れ去られ、
現在に至っているのです。
このような理不尽な事を日本人に対して行い、そのような事は語らず、
己達の一方的な事ばかり 知らない世代の日本人の顔を見れば、どうのこ
うの言うので、 「 朝鮮人が。」と、 日本人が反感を持つわけです。
1つは、 おかしな一方的な歴史教科書を読んで、学校で一方的な教育を
受けて、それが本当だと信じて、日本人を毛嫌いしているので、 いろんな事件
が起きていく素因となっているのです。
これらの事を、内政干渉に当たると考えて 放置している 我々日本人にも問題
があるわけです。
ちゃんと勉強した上で、反論を行い、是正を申し入れていかねば、これを放置
したままにすると、どんどんどんどんエスカレートしていくばかりです。
彼等の行いは、 とても当時許されることではなく、 吉田 茂さんが、しびれを
切らして、 マッカーサーに直訴に至ったというのは、よほどの事が重なって
「 外交官として何とかしないと。」と、考えてのことでした。
南朝鮮の秘密部隊が、日本に進入し、これらの強制送還の事務所を爆破未遂
事件を起こすのですが、これを新潟日赤センタービル爆破未遂事件と呼
びます。
そのような事件を起こして、謝罪もなければ、賠償などもないのです。
多くの人が射殺されたり、負傷したり、監禁されたりする事件になっていくの
ですが、当時、日本という国が無かったので何も出来なかったのです。
本来、このような出来事をちゃん一つ一つ精算解決してから、 国交を再開
するべきであったのです。
今日から、数回に分けて、 どうして こんな関係になっていったのか、原因
は何であったのか、 ちょうど江戸時代、 京都で新撰組が暴れていた当時に、
戻って、 わかりやすく朝鮮半島の出来事を紹介したいと思います。
その騒動の渦の中心は、当時の京城 現在のソウルの王宮で
あったのです。
ここが、すべての始まりであったようです。
ここでの 権力争いと、 国民の生活を考えない 特権階級中心の政治
が、多くの混乱を招いていき、 騒動の中、 自分達の身分を守ろうとして
いろんな事が行われ、 その行為で、 虎や狼の外国勢力を 国内に
自ら招き入れていったのです。
その外国の虎や狼を招き入れていた張本人が、明成皇后であったと言われて
いるようですが、はたして、本当にそうだったのでしょうか、 少しずつ紹介して
行きたいと思います。
【 明日に続く。】