第1802回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1801話 清の属国 李氏朝鮮国の事。 2017年4月26日水曜日の投稿です。





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   みなさん、朝鮮半島李氏朝鮮国が、清国の属国にされて、毎年、毎年、

 貢ぎ物と称して、清国に多額の金銭、物品を吸い上げられていたことは、戦後の

 日本人に知られていない事ですが、どうしてそうなっていったのかと言うと、日本

 の江戸時代の初期の寛永頃、 明という国が中国大陸を治めていたのですが、

 中国大陸の北方の満州に、清という軍閥が出来て、中国東北部から明を圧迫

 しだしたのです。

  清と言う国が、明の軍勢を破って勢いを増していた当時、 朝鮮半島にも、

 清の軍勢が大陸平定のため押しよせようとしていたのです。


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   そこで朝鮮人が考え出した智恵というのが、今まで友好関係にあった明国を

  裏切って、清国の合力と称して、軍勢を出して、清国と一緒に明を攻めたのです。

  そして、 毎年 貢ぎ物を清国に差し出すことで、朝鮮半島自治を清国に

  認めてもらっていたようです。

   そのまま、戦うと、清国相手では、負けてしまうと考えていたようです。

  日本人であったらどうなっていたか、 明国と手を結んで明国を裏切らずに

  清国と戦争をしたかもしれません。



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    そんな経緯で、 しばらく、明国と清国が戦争を行い、明国の残党は台湾に

  落ち延び、 日本の徳川幕府に援助を求めてきたそうですが、日本側は断った

  と言い伝えが残っています。

  この残党も、 後に清国に攻められて消滅したようです。

  それ以後、 朝鮮半島では、 貢ぎ物と称して、北京に文物を納品し、国王が

  死去して、 代が変わる事に、使節が清国に表敬訪問することがならわしに

  なっていった様です。

  これはどういうことかと言うと、朝鮮国王は、清国が任命すると言うことであった

  のです。


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   ところで、私のお話は、1863年 日本に黒船が来て大騒ぎになっていった

 10年後の 文久三年 ちょうど、京の都で 新撰組会津藩が、長州と武力闘争

 を行っていた当時、朝鮮半島では、李氏朝鮮の第25代の 哲宗 国王が、わずか

 32才でこの世を去っていったのです。

   日本式に言うと、哲宗国王が崩御されたわけです。



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                【  若くして亡くなった 哲宗【てっそう】 国王  】


   この32才でお亡くなりになった 哲宗 国王には 子供が複数いたのですが

  病気で男子がすべて亡くなっていて、 姫君が1人しかいなかったそうです。

  この国王、 飾り物のような力のない、国王で 実際の権力は、安東金氏と

  言う重臣が掌握していたようです。

  安東金氏 という人達はわかりやすくと言うと、建国の功臣の子孫でありました。

  日本で言うと、 徳川幕府の 井伊家とか、本多家とか、榊原家とか、大久保家

  とかの 徳川四天王の家柄と言えば わかりやすいかもしれません。

  安東金氏達は、次の王様を決めるのに、王族で1番おとなしくて、暗愚な人を

  捜して選んだのです。



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                  【  第26代  高宗 国王 】



    どういうことかと言うと、頭のよい人だと、自分達の思う様な好き勝手が

   出来なくなるからでして、 「 何事も 良きに計らえ。」としか言わない、イエス

   マンを国王に据えたのです。

   この国王は、王族は王族でも、家柄の低い、力も実力もない、端の方の脇の

   王家のおとなしい人であったそうです。

   ちょうど、日本の戊辰戦争の頃、 このおとなしい高宗 国王が即位し、清国に

   使節を使わし、貢ぎ物を献上し、清国へ、朝鮮国王の任命を求めたのでした。



  
    【明日に続く。】