第1806回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1805話、 フランス極東軍の朝鮮人武力討伐前夜の事。
2017年4月30日日曜日の投稿です。
【 1804話からの続きより。】
たり、大阪では、大阪城で14代将軍 徳川 家茂 が病死したり、時の流れが
早かった、 1866年 慶応2年に、朝鮮半島で、フランス人宣教師、9人と
朝鮮人信者 約8千人が処刑されたことがわかると、 対岸の清国の天津に
司令部を置いていた、 フランス極東軍の司令部では、 李氏朝鮮に対して
報復攻撃の作戦が立案されていったのです。
その作戦の目的は、 フランス人を殺害したら、 大変な報復を受けると言う
社会に宣伝する事が計画されたのです。
ところが、通信手段の整わない当時、 広いアジアに分散していたフランス海軍
と陸軍を清国の天津に集めるのには、 短い月日では限度があり、 長期間日数
をかけると、事件が風化し、 放置すると、 フランスを甘く見られ、 第2、第3の
フランス人虐殺事件が発生すると考えて、 わずか3隻の洋式軍艦で報復を
行う事になっていったのでした。
少ない兵力でどう戦争をして、 国際社会が認める戦果をあげるか、大変難しい
少数兵力の遊撃作戦が立案されることになっていったのです。
みなさん、艦艇を操舵したことのある人は少ないと思いますが、大型の艦艇に
なれば、なるほど、沿岸というのは座礁の恐れがあるのです。
私が海軍に在籍していた当時は、海図を基に、充分な航行計画を立案するわけ
です。
どこを通過すれば安全に艦が目標に到達できるか、 燃料が往復でいくらかかるか
乗組員の食糧、飲料水、その他諸々の必要なものを抽出し、何度も、何度も、不可
抗力を考えて、作戦を練るわけです。
当時、フランス海軍が艦艇に登載した、陸戦隊 兵力1300名、 艦艇の乗組員
合計で、約3千名近くの毎日の食糧や、真水の補給、艦艇への燃料の補給を考
えると、 それはそれはすごい戦費用がかかるわけでして、 そして大切な事が
わかったのが、 朝鮮半島の沿岸の海底の水深がまったく当時わからなかったの
です。
わからないから、安易に朝鮮半島沿岸に艦艇を進めると、 戦争をする前に艦
が座礁して沈没する可能性があったのです。
それから 当時、 弾薬の備蓄量が限られていて、 それを使用した後、
補給のめどが立たなかったのです。
性能のよい 西洋式の大砲や小銃も、弾薬がなかったら 役に立たない訳で
して、次第に、 フランス本国政府に報告して、 援軍を待って、体制を整え
それから、一気に朝鮮を攻めるべきだと言う意見が支配的になっていったそう
ですが、 当時のフランス極東軍 司令官 ピエール バュスターブ ローズ
海軍少将は、「 チョウセンジンハ、サタン【悪魔】デース。」 と叫んで、攻撃
を強行していったのです。
当時の作戦というのは、 フランス海軍の3隻の戦力で、李氏朝鮮の
のある 江華島という島を占領し、ここを拠点とし、 真水などの補給基地として
それから、対岸の港町、 仁川に上陸して、 王宮のある 漢城を強襲する
ルートの作戦が計画されていったそうです。
【 漢城の玄関口の仁川 【じんせん】】
この少ない兵力と、物資、武器弾薬の限られた中での作戦は、
短期に一気に進撃し、相手の心臓をサーベルで突いて、制圧する
ことが求められていったのです。
【 明日に続く。】