第1828回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1827話 ジェネラル シャーマン号事件の事。
2017年5月22日月曜日の投稿です。
ちょうど、丙寅洋擾【へいいんようじょう】と呼ばれる、フランス極東軍と
李氏朝鮮との武力衝突があった年の1866年 日本の慶応2年、諸説がある
この船のことを、 ジェネラル シャーマン号という名前であったと言われてい
ます。
乗組員が20名ほどの武装商船、つまり 本来は商売人の船で、海賊から身を
守る為に 大砲などを装備していたそうです。
李 玄益なる朝鮮の役人が、退去するように申し入れするため船に近づくと
捕らえられ監禁され、小船は沈められ、 陸上を砲撃して、朝鮮人10人程度が
爆死する事件となって行ったそうです。
この シャーマン号事件 と言うのは、川をさかのぼって、砲撃を繰り返して
いる時に浅瀬に乗り上げ、動けなくなったそうです。
そしてどうなったかというと、 朝鮮側に包囲されることとなって行ったそうです。
平壌 監司という役職の 朴 珪寿なる人が 軍勢を率いて、シャーマン号を
火攻めにして、 アメリカ人乗組員を全員殺害するという事件に発展していった
ようです。
当時、まだモールスや、無線が無い時代、 ジェネラル シャーマン号は、
連絡が取れなくなり、難破したのか、どうなっているのか、行方不明とされ、
イギリスと アメリカで捜索する事になっていったようです。
アメリカ太平洋艦隊は、翌年の1867年 1月 軍艦 ワチュセットを捜索に
派遣し、 消息がわからず、 1868年の4月 軍艦 シェナンドァ を朝鮮半島に
派遣して捜索したのですが、まったく手がかりがなかったそうです。
5年後、1871年 明治4年になって、 実は ジェネラル シャーマン号は、
アメリカ人乗組員が全員殺され、 船は放火されて 藻屑となったことが行商人
の噂話から発覚し、 中国の北京駐在の アメリカ合衆国 公使 フレドリック
ローは、清国に申し入れをして、朝鮮に対して 損害賠償を請求していくのです。
このアメリカからの損害賠償請求も、返事をまったく行わず、黙殺していったの
です。
【明日に続く。】