第1829回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1828話 辛未洋擾【しんみ ようじょう】前夜の事。
2017年5月23日火曜日の投稿です。
1871年 日本の明治4年、 つまり武士や百姓、職人、商人、えた 非人
などの身分が無くなり、 四民平等となって、廃刀令という、武士が刀を差して
歩いてはいけないと言う法律が出来た頃、 清国の北京のアメリカ公使館に、
5年前の1866年 慶応2年に朝鮮に向かって航海した、ジェネラル シャーマン
号という 武装商船が行方不明であったのですが、 5年の歳月を経て、実は
炎上し、船長以下20名が朝鮮人に殺されたという事実が伝わってきたの
でした。
属国であったので、清国を通じて、 事件の詳細な説明と、乗組員の家族や
ジェネラル シャーマン号の船主に対し損害賠償を請求する申立を行ったそう
です。
【 アメリカ公使館 フレドリック ロー公使 】
みなさん、当時のアメリカ公使館 と言うのは、現在の大使館のようなものでして
清国公使 と言うのは、 現在で言う 大使に相当する外交の窓口でした。
ところが、何度申し入れをしても、何も返事が無く、 ロー公使は、事実をワシントン
に報告したようです。
当時、ようやく モールスという電波が開発され、 それによって外交が動いていく
時代になっていく過渡期でありました。
ワシントンから来た電報というのは、「朝鮮を武力制裁せよ。」と言う 命令で
あったそうです。
アメリカ アジア艦隊に出撃命令が発令され、各艦艇のその集合地点は、
なんと、日本の長崎であったのです。
学校の歴史の教科書にも出てないことですが、今から146年ほど昔、
アメリカ合衆国 アジア艦隊は 日本の長崎の港を集合地点として、一斉に
集結命令が発令され、 ここで 水や食糧、弾薬などを補給したその後、
生意気な行為をした朝鮮人に対して、 鉄槌を下すべく、出撃していくことに
なっていったのです。
この出来事を 辛未 洋擾 【 しんみ ようじょう】と言います。
さて、どうなっていくのでしょうかーーーー。
【 明日に続く。】