第1830回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1829話 辛未洋擾 【しんみようじょう】 アメリカ アジア艦隊集結の事。



                           2017年5月24日水曜日の投稿です。


  1871年 日本の明治4年4月頃、日本の長崎港、現在の長崎県長崎市

どんどん アメリカの軍艦が入港し、 水や食糧 武器弾薬を補給し、陣容を

整えていったそうです。



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      当時の言い伝えによると、 アメリカ アジア艦隊は、長崎に1ヶ月程度

 停泊し、5月になってから 行き先も告げずに すーーっと 姿を消していき、当時

 の日本人には これから彼等が朝鮮半島で戦争を行いに行くとは、誰1人知る

 人はいなかったそうです。

 アメリカ人も、日本人を朝鮮人同様 疑っていたようです。



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   アメリカ海軍 アジア艦隊は、長崎をバラバラに出港し、五島列島の沖合で

 艦隊の陣形を整えると、一路 北上を続けていったのです。



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    その陣容というのは 言い伝えによると、 アメリカ海軍 コロラド、アラスカ

 パロマ モノカシー ペニシア の5隻で艦隊を構成し、そして、5隻の艦隊を率い

 るのは、 アメリカ海軍 アジア艦隊 ジョン ロジャース司令官 であったと言わ

 れています。



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        【 アメリカ海軍 アジア艦隊  ジョン ロジャース 司令官 】


 そして 艦隊の旗艦は、コロラド であったそうです。

 ジョン ロジャース 司令官が当時のどんな戦術をとったか、それは5年前の

 フランスと李氏朝鮮との戦闘の戦訓を参考にし、 そして 沿岸に近づきすぎて

 ジェネラル シャーマン号のように浅瀬に乗り上げて座礁などしないように、

 細心の注意をはらいながら、朝鮮人に報復を行って行ったのです。

 アメリカ海軍の作戦の目的は、アメリカ人を殺害したら、 どのような強い報復

 がなされるか、朝鮮人に思い知らせる事であったようです。



  【 明日に続く。】