第1831回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1830話 辛未洋擾【 しんみ ようじょう】 米朝開戦の事。
2017年5月25日木曜日の投稿です。
フランスとの戦いで、とりあえず、西洋人を退却させた 李氏朝鮮では
国防という熱気が沸騰し、各地の重要な港湾に 日本で言う 台場、 つまり
砲台が作られ、 フランスが来襲した 首都 漢城の西には、朝鮮が中国より
購入した 当時の最新鋭の砲が備え付けられ、 5年間で 多くの陣地が構築
されていったようです。
砲台の欠点は、移動が難しい事です。
艦艇は海の上をスイスイ移動出来ますが、 陸上砲台を造っても、その場所に
敵の艦船が来なかった場合、 宝の持ち腐れとなってしまいます。
言い伝えでは、 ある日突然、蒸気船がやってきて、いきなり砲撃を開始し、
朝鮮側では 受け身一方の展開となって行ったそうです。
アメリカ海軍 アジア艦隊は、 フランスのように、 使者をよこしたり、名乗りを
あげて 要求を連絡してきたりはしなかったようです。
砲撃を開始したようですが、 朝鮮側も 台場から応戦したようです。
朝鮮側は、 自信があったようですが、 5年前のフランスとの戦いと比較
して、 アメリカ海軍の艦砲射撃の射程内に 台場を築いて、砲を置いて、射撃
を行ったため、 アメリカの艦載砲との射程の違いから、朝鮮側は一方的に
被害を受け、 日本の長州藩の馬関戦争のように、多くの死傷者を出して、
砲台は破壊されていったのです。
沿岸の防衛を考えずに、 少し内陸に陣地を築いて、 砲を据えておくと
また 違った戦況になったかも知れません。
それから、 海岸に大砲を据えて 沿岸を防衛するという事で、その場所の
兵力も、ある日突然 アメリカ海軍が押しよせて、攻撃して来たわけで、
後手、後手に回って、 言い伝えでは 朝鮮側は250人程度 砲撃で戦死し、
大きな被害を受けたと言われています。
【 明日に続く。】