第1832回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】
2017年5月26日金曜日の投稿です。
1871年 日本の明治4年6月10日に始まった、アメリカ海軍 アジア艦隊による
朝鮮半島 江華湾に対する艦砲射撃は、随分激しい攻撃であったと言われてい
ます。
海岸に築城されていた、石造りの朝鮮側の砲台は、アメリカ海軍の艦砲射撃で
一方的な形勢で破壊されていき、朝鮮側に多くの死傷者が発生し、総崩れ
となっていったと伝えられています。
朝鮮人から見ると、最新鋭の大砲であったのですが、発射して 弾が飛ぶ距離が
して、相手に被害を与えられず、 反対に、 アメリカ海軍が発射した 大砲の砲弾
は、朝鮮側の砲台に次々着弾していったようです。
砲撃戦で、朝鮮側に大きな被害が出て、 砲撃が出来なくなると、今度はアメリカ
海軍は、海兵隊を上陸させてきたのです。
附属する部隊であったようです。
軍を撃破して、 帥 という 朝鮮の本陣の旗を 戦利品として獲得したとあります
が、実際は、海軍の艦砲射撃で 朝鮮人は大きな損害を出して、内陸に撤退し、
無抵抗となった、 朝鮮人の砲台を 占拠したというのが実際のようです。
その敗因というのは、 アメリカ海軍の長距離射程砲の射程の中に、兵力を配置
して、 射程の短い大砲で勝負しようとした事が原因でありました。
そのような訳で、 5年前のフランス海軍が攻め寄せてきた 丙寅洋擾【へいいん
ようじょう】の時と同様に、艦載砲の届かない内陸に朝鮮側は撤退し、 沿岸に
【 明日に続く。】