第1834回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1833回 南延君 李球 墓地盗掘事件の事。
2017年5月28日日曜日の投稿です。
1868年 日本の慶応4年 明治元年に発生した、南延君 李球 墓地盗掘
事件と言うのは、 日本人で知っている人は少ないのですが、 ちょうど、フランス
などが朝鮮に攻めてきて、 国防が叫ばれていた当時に発生した事件でした。
南延君 李 球 と言う人はどんな人かというと、 当時の朝鮮国王 高宗
のお祖父さんにあたる人でありました。
つまり、高宗の父親が 興宣 こと、 大院君 であったので、 大院君の父親
であったわけです。
李 球 という人は、 1788年に生まれ、1836年に亡くなっていて、死後、
32年が過ぎて、墓地に埋葬されていたそうです。
朝鮮側の申立では、 誰かが 南延君様の墓を掘っていると通報があり、
軍勢が駆けつけてみると 盗掘の最中で、逃げ出したのは 西洋人であった
そうです。
ヤーコブ オッペルト と、言う人が 香港に来て 貿易ブローカーのような事を
やっていたそうですが、うまくいかず、 その当時、フランス人から 朝鮮の話を聞
いて、当時 未知の国 朝鮮の 王墓を盗掘して財宝を持ち帰り、香港で売りさばき
金にしようと計画し、 朝鮮に密入国し、 王家の墓を盗掘していたようです。
その墓が、なんと、 当時の権力者 大院君 興宣の 父親の墓地 南延君 李球
の墓であったそうです。
この ユダヤ人のエルンスト ヤーコブ オッペルト という人は、今風に言えば
インディージョーンズ博士のような事をしていた人のようですが、当時の朝鮮人
からすると、 「王墓を密かに盗掘するとはーー、なんという 罰当たりの西洋人か
。」 と言う事になり、 王宮では 大騒ぎになって行ったそうです。
このような 墓荒らしのような事件を 南延君事件とか、オッペルト事件と
呼んでいるそうです。
言い伝えでは、 1868年の 5月頃の出来事のようです。
このような事件があって、 朝鮮半島では、西洋人はとんでもない外敵である
という、概念が定着し、 外国人 打ち払い令が発せられ、どんどんエスカレート
していったのです。
【 明日に続く。】