第1837回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1836話 ポサドニック号事件 対馬府中藩の内情の事。


                      2017年5月31日水曜日の投稿です。




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   【前話からの続き。】


   文久元年 2月3日にロシア人が 対馬の芋崎を占拠し、 建物などを建て

 日本人などを射殺したり、 略奪をしたりと、狼藉を働いているとの申立で、

 江戸幕府は、 外国奉行 小栗 忠順 【おぐり ただまさ】を 虎の子の軍艦

 威臨丸【かいりんまる】と一緒に、対馬に派遣して、ロシアとの立ち退き外交交渉

 に当たらせることにしたのです。


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    小栗 忠順 一行が、対馬に到着したのが、 5月10日頃であったそうです。

 「どうして、対馬藩で対処出来ないのか。」と、問うと、 なんと、当時の対馬藩

 経済破綻していて、何も出来ない状態であったそうです。

 そして、家老から、対馬を 天領にして、 幕府で統治してもらい、 宗家は、

 どこかの国に 領地替えをお願いしたいという 嘆願書を提出する有様で

 あったそうです。


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                 【 先代藩主  宗 義和 そう よしのり 】
 

   当時の言い伝えでは、尊王攘夷派、 つまり 右派に 強制的に藩主の座から

引きずり下ろされた、 先の藩主 宗 義和 【そう よしのり】 の時代にすでに

財政が破綻寸前になっていて、 西日本で貧乏藩から、1番の金持ち藩になった

備中松山藩の 山田 方谷 の藩政改革を手本に、生産方をもうけて、改革を

行おうとしたところ、 侍商法で頓挫し、 借金をして、 借金の利息の支払いを

行い、 また 借金を繰り返していたら、 あっという間に返済不能の状態になって

いったようです。


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 その次の藩主 宗 義達 【そう よしあきら】 は、そのような訳で、このまま

 宗家が対馬を統治していても、 朝鮮との外交や、対馬の防衛は資金が無い

 ので対応が出来ない。」 と申立てたようです。

 もともと、 対馬は平野が少なく、農地が少なく、 肥前などに飛び地の領地が

 あって、 朝鮮人参の交易などで得た金銭で、朝鮮使節の供応の資金などを

 捻出していたのですが、朝鮮人参が 日本国内で生産され出すと、あっという間

 に財政が傾いて行ったようです。


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   みなさんに紹介しますが、自治体でも、法人でも、個人でもそうなのですが

 よく言われる 歳出の削減だけでは、絶対に借金まみれになった財政を建て直

 す事は出来ないのです。

 1億円負債がある法人を建て直す場合、収入を改善しても、3億円程度資金が

 ないと、中途半端に 例えば5千万円程度資金を入れると、資金が焦げ付くだけで

 資金が回収出来なくなっていくのです。 

 では、 どうしたら良いのか、 助かる道は1つなのです。

 収入を増やすこと、 それも、設備投資などを極力行わず、創意工夫してお金の

 収入を増やすことなのです。

 つまり、入ってくる物を工夫して増やさないと、いつまで経ってもダメなわけです。

 備中松山藩では、 山ばかりで 田畑は少なく、 農民は、副業して得たお金で

 よその領地のお米を買い求めて、 年貢を納める程度、貧しかったのです。

 税金を上げると、農民の生活が成り立たなくなり、 藩の産物といっても、周辺の

 砂鉄などが出る山は、幕府領となっていて、本当に貧乏であったのです。


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    そこで、 鉄を買い求め、 備中クワという 三つ叉のクワなどを作って、

 それを商人を通さずに、藩が直接売って、利益を出していったのです。

 対馬藩も、これをまねして、 生産方を作って、 対馬の特産品を日本の本土に

 運搬して 売りさばこうとしたのですが、 なかなか思ったように行かなかったよう

 です。 

 何が原因であったのか、 それは、顧客の要望に添う品物を対馬藩で用意

出来なかったからです。

 人々が、 お金を出して、買って 利用する物、 買って満足する品物を作れ

なかった、 ただその一点にあるようです。



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  そう言うわけで、 外国奉行 小栗 忠順 さんが、命をかけて 対馬にまで

 駆けつけて、 対馬の宗家から 頼まれたのが、 「対馬を 幕府が直接代官を

 おいて 天領として統治してほしい。

 宗 家 を 日本本土のどこかの領地に 領地替えしてほしい、 今の状態では

 朝鮮の外交使節が到着しても 供応が出来ず、 ロシア人が来ても、対馬

 防備をする お金が無い、 何とかしてほしい。」 との 申し入れであったのです。

 そんなことを言われても、外国奉行にそんな権限がないわけで、 「 江戸に

 帰って伝えもうす。」 としか、返事が出来なかったようです。

 

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  外国奉行 小栗 忠順 一行は、 ロシア軍艦 ポサドニック号の停泊している

 場所に出向き、 ロシア人との外交交渉を行う事になったようです。

 ところが、 言葉はロシア語で まったく通じず、 多いに立ち退き交渉は難航

 していったようです。


  【 明日に続く。】