第1853回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】
2017年6月16日金曜日の投稿です。
ちょうど、明治16年 9月に岩倉使節団という西洋諸国を視察していた
明治政府要人が日本に戻ってきて、征韓論のお話しを聞くに及び、帰国して
きた人が反対を唱えていったのです。
は、表面には色を出さず、 少しずつ、征韓論が立ち消えになるように、そう
韓論者の政府要人は、「 8月の段階では、 参議の 西郷 隆盛が、朝鮮
を訪問することは決定事項で決まったではないか。」と、 詰め寄って強談に
及んだそうです。
10月になって、その後、嘘か本当か、三条 実美 太政大臣は、高熱を
発して、倒れ、重篤になり、 宮中会議にも出られなくなり、 薩摩の大久保
利通の工作で、 太政大臣 代理に 当時の 右大臣 外務卿の岩倉 具視
が就任すると、 一気に、征韓論潰しに勢いがついていったのです。
どうしても 戦争を起こし、軍需景気を作ろうと考えていた 土佐藩出身の
人達は、朝鮮と戦争を行う為にある陰謀を計画するのでした。
【明日に続く。】