第1855回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1854話 征韓論と土佐 三菱商会の多数派工作の事。

                        2017年6月19日月曜日の投稿です。




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  明治6年の10月、 太政大臣と 右大臣と、外務卿 を兼任する 岩倉 具視

が、「 今 朝鮮半島と戦争すれば、 2年先に経済破綻する。」と反対し、 大久保

利通も、「 戦費のあてのない、武力衝突は避けるべし。」と 唱え、明治政府を

2分する政争となって行ったのです。



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       旧 土佐藩の実力者 後藤象二郎と、板垣退助らは、三菱商会に

     現金を用意させ、 征韓論に同調するように、多数派工作を行っていった

     のです。

     

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    これらの 三菱のお金が政界に流れ、 これらを支出することで、三菱の

 次の受注につなげていこう言う 岩崎 弥太郎の 策略であったようです。

 10月の参議の会議で、 朝鮮を討伐する意見が、過半数となり、多数決で

 岩倉、大久保などの 反対派は、少数派になって行ったのです。

 みんな、袖の下が入れば 協力して同調していったようです。


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   大久保利通、 岩倉 具視 らのグループがとった方法と言うのは、 昔なが

  らの古い手で、 明治天皇の勅許の宣旨をとって、 西郷や、後藤、板垣、

  江藤らに、勅許の宣旨をかざして、 「 御上のご内意である。」 と言って

  征韓論を潰して行ったのです。

  これらの動きに対して、 征韓論派は、一斉に600人程で 明治政府に辞表を

  提出して、 揺さぶりをかけていったのです。

  そして、 次の陰謀を計画していったのです。


   【明日に続く。】