第1856回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1855話 征韓論と食違坂事件前夜の事。2017年6月20日火曜日の投稿です。
て、もはや実力行使しか、天は回転しない、「 回天である。」 と叫んで、反征韓論
そして彼等を刺激したのは、 彼等が政府を離れると、 岩倉らが妥協してすり
よってくるものと考えていたのですが、 なんと、 旧幕府の開国論者を政府に
補充で呼び入れていき、 「 さあさあ、 気にくわなければ、 どうぞ、国に帰って
ください。」 とばかりの態度であったそうです。
のですが、それを制止したのは、 板垣退助らのグループであったと言われてい
ます。
どうして、薩摩藩に声をかけなかったのかというと、 西郷の周辺に、大久保の
ことであるから、間者 【かんじゃ スパイの事】を入れているに違いない、計画が
漏れることを警戒したようです。
当時の 岩倉や、大久保の通勤には、西洋式の馬車が使用されていて、
速度が速いので、 打ち漏らす可能性があり、緻密に計画が立案され馬車の
速度が落ちる 上り坂で待ち伏せ、 車夫を殺して、 足を奪い、そして、「必ず
必殺で、岩倉を暗殺すべし。」 岩倉を血祭りに上げれば、 潮目が替わり、
政治の流れを変える事が出来ると、思ったようです。
土佐藩の連中が、襲撃の場所に選んだのは、 夜と、上り坂と、ひと目の
少ない場所、 当時 食違坂 と呼ばれた場所であったのです。
土佐藩の 士族を食べさせるためには、お金を作る必要があったのです。
初期の三菱商会は、 土佐藩の会社の様な物で、 なんとしても、金儲けを
続けていき、 多くの土佐の士族の生活を支える必要があったのです。
それには、どこかで 戦争を起こして、 新政府の物資調達で一儲けする
ことが求められていたのです。
【 明日に続く。】