第2662回 岡山県井原市高越山城跡の宇垣一成陸軍大将の石碑を見学する。模型公園


みなさん、こんばんは、模型公園です。 2017年6月20日火曜日の投稿です。




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  今日の模型公園の家の近くは曇ったり、晴れたりの暑い1日でした。

なんでも、西からお天気下り坂みたいです。





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           【 備中國 荏原 高越山城跡   岡山県井原市平井  】



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              【 北条早雲  岡山県 井原市 平井出身 】


 今日のお話は、昨日の 法泉寺のお寺からそうーー東に2キロか、3キロか

その程度進んだ場所にある、北条早雲が子供の頃 住んでいたというお城の

跡のお話しです。



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      ここの岡山県井原市平井は、室町時代の大永頃から現在まで

      連綿と続く、国重刀鍛冶の大月家があることで有名です。

      上の石柱の 大月 女 源 という、女の刀工とか、 慶応頃の

      杢助さんは、 最後の将軍 徳川 慶喜公に名刀を打って献上

      したことでも、有名です。


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  ここを上にテクテクして行くのですが、大仏様は、商売は今ひとつですが、

  ここの 大月家の当主の 大月 淳治 さんという、おじいちゃんと知り

  合いで、 国重刀工の 古い言い伝えを教えていただきました。

  こういう 歴史の方面には 顔が広いみたいです。

  少しだけ、見直したのでした。




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     それが、数百メートルの山城跡なのですが、 大変でーー。

     ここが、 お城の跡の 冠木門の入り口です。

     バイクが乗れる人は、 バイクで行った方が楽ちんですね。

     ここ高越山城は、 天文七年頃、出雲の尼子 経久の軍勢と、備中の三村

     氏や、新見氏などの連合軍が攻め寄せ、落城し、焼き払われてしまいます。
     



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       ふうーーー、やっと 二ノ丸か、なにかしりませんが、 広い場所に

       登ってきたのでした。



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    ここの 備中國 高越山城は、 神奈川県小田原市の北条氏の元祖

   伊勢新九郎 こと、北条早雲のお父さんのお城でした。

   知行五百貫文 という身分で、備中 荏原荘【えばらのしょう】 の東半分を

   治めていたそうです。



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        さらに 上にあがっていきます。


        ところで、伊勢氏のお殿様は、家族と一緒に 備後国に逃走し、

        毛利氏を頼ったようです。

        天正7年 鳥取城に 毛利氏の吉川経家の軍勢に合力し出陣、

        ところが、 羽柴筑前守秀吉の軍勢に包囲され、兵糧攻めにあい

        討ち死にして、 伊勢氏は断絶し、 その一族の末端の子孫は

        平井 という家に養子に入って、連綿とつづいたそうです。

        北条早雲の一族は、 豊臣家によって、滅ぼされたのですが、

        井原の伊勢氏も、 同様であったようです。




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                 だいぶ 上にあがってきましたよ。



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                 【 備中国 高越山城 案内図 】



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      これが 平面図のようです。

     驚いた事に、 山の上に 空堀がある珍しい縄張りのようです。 


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       これを読むと、なぜ、 静岡県とか、関東地方に行って

       北条氏と名乗っていったのかが 説明してあります。


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               1番山の頂上にある、 忠魂の碑 です。

          この石、 下から引っ張ってあげたのか、 すごい大変だったと

          思います。



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    字は、 関東大震災の翌年程度に、陸軍大臣になった、岡山県

    瀬戸内市出身 宇垣 一成 陸軍大臣の書が刻印されているよう

    です。

    宇垣一成 さんと言う人は、 尋常小学校の事務員 兼 用務員をして

    その後、 一兵卒の二等兵で岡山の連隊に入営し、 陸軍大将になった

    という 岡山県では 苦労人で、立志伝中の有名人でした。


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         裏には、 荏原軍人会の戦死された人と思われる、個人名

         が刻んであります。


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             上からの眺めは、なかなか良かったです。



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                    この石柱も 古いですね。



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   ところで、帰り路 草刈りしているおじさんに出会って、聞いて見たら、

 北側の 井原カントリークラブというゴルフ場から南に降りる道があって、

 手前まで 車で行けたことがわかってーーーーー。


  「 なんなら、 あんたら、下からあるいたんか、 大変じゃったのう。」

  と、 「 ばかじゃないのか。」という顔つきで、見られてしまい。

  大仏様が、 「 運動になって えかったのう。」 というので、ガックリ

  きてしまいました。

  いつも、無計画で、思いつきの部分は、世襲したくないですね。

  何事も、計画が悪いとよいことにはなりません。 

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    ちょうど、 室町時代、今の小田川の川の中州に、日本刀を

    作っていた、 町があったそうで、 ここ数年 研究していて、

    それで、大月のおじいちゃんに 色々言い伝えを聞いては、

    その遺構をさがして、研究しているようです。

    金にもならないことを、 時間を作っては、 やっているそうで、

    我が家はいつまでたっても、貧乏が続きそうです。



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          今日は 岡山県井原市北条早雲の父親の伊勢氏の

          居城 備中高越山城の登山のお話しでした。



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            じゃあ、みんな また 明日ね。



          【明日に続く。】