第1859回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1858話 食違坂事件とその後の事。2017年6月23日金曜日の投稿です。






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    太政大臣代理、 右大臣 外務卿 の岩倉 具視【ともみ】という人は、

  今風の肩書きに直すと、 そうーー総理大臣代理 副総理、兼 外務大臣

  という肩書きに該当し、 政府の要人であったのですが、 その 岩倉卿が

  食違坂で、全治3週間程度の傷を負った程度であったようですが、 それを

  聞いた、大久保 利通は、次は我が身と悟り、 襲撃した浪士と、その背後関係

  を洗い出し、 翌日から警視庁を総動員して、 内務卿として指揮を取って

  徹底的に捜査を行って行ったのです。



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    翌日 事件現場に 特徴のある 犯人のゲタが片方落ちていて、それを

  たどっていくと、 旧土佐藩士 武市らのグループにつながって行き、3日後

  には、 組織の一部の9人が逮捕され処刑されたとあります。

  ただ、 これらは 薩摩藩の政府残留組が、土佐藩の残存勢力を追い落とそう

  と計画した陰謀であったとか、 そんな説あって、 「たった 3日で、逮捕された

  のは、どうもおかしい。」と言うお話しもあるのです。

  そのあたりの事は、 闇の中で迷宮入りしていったようです。



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  当時の 土佐藩の直営商社のような存在であった、三菱商会は、当時、旧肥前

 藩の江藤新平らに、資金を出したり、 新たな戦争がおこるように、 おこるように

 裏で動いていたようです。

  日本が 内乱が発生して、 佐賀の乱、 萩の乱、などなど、どんどん 反乱

 が発生していった裏では、 三菱商会の暗躍があったそうです。

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 そういえば、西南戦争の始まりは、 鹿児島で 政府の弾薬を運搬していた、

 三菱商会の荷駄隊がどう言うわけか 薩摩武士に襲われて、どんどん火の

 炎が大きくなっていったと言われています。

 日本が内乱になっていた当時、 朝鮮半島でも、内乱というか、クーデターが

 起きていったのです。


  【明日に続く。】