第1860回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1859話 李氏朝鮮の大院君圧政の事。 2017年6月23日金曜日の投稿です。





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   ここ数日、 「朝鮮半島を侵略しよう。」という人達、 征韓論派 と、「そんなこ

 とは国を滅ぼす原因である。」と、反対する 反征韓論派のお話しを紹介したの

 ですが、 その原因は、 朝鮮の実質支配者の 大院君 興宣が、大日本帝国

 国書の中に、 天皇の 天 と 皇 と言う文字が気に入らず、 洋服姿の明治政府

 の外交官を、西洋人の物まねと称して、 生意気な態度と、日本を軽蔑し、日本に

 反抗的な態度を鮮明にしていたからでした。


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  ちょうど、 西郷隆盛らが明治政府を去った頃の朝鮮半島はどうであったかと

言うと、経済破綻していったのです。


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  当時、朝鮮は鎖国をしていて、 交易相手は清国程度であったのです。

 そうすると、収入、つまり歳入は 国内の農村の生産高のみであったのです。

 大院君 興宣 は、フランスや、アメリカとの紛争の後、 軍備に資金を投入し、

 さらに、 大きな景福宮 なる御殿を造営し始めたのです。

 そんなお金が無かったので、 国内の農民や商人に特別税をかけていったの

 です。



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   大院君 興宣の物差しでは、軍備増強は、国土を守り、王室の安泰の為で

  あったのです。

   そして、景福宮の建設は、 朝鮮の国威を高め、 国王の威信を高める

  為であり、 有力貴族に工事を行わすことで、 貴族のお金を使わせ、力を

  そぎ、 彼等の支出で、 経済を好転させようとしていたのです。



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  そんな彼の政策に諌言を行うと、 すぐに左遷されたり、 ひどいときには

  処刑されていったのです。

  とくに農民は重税で苦しんでいる時に、さらに 景福宮の工事の増税

  かけられて、 納税できない人達は、見せしめで、 むち打ちや、ひどい場合は

  見せしめに処刑され、 人々の怨みは増すばかりであったのです。



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   このような 封建社会の重税で多くの怨嗟の声かあがり、身分と身分で人と人

   が分断され、双方の対立を煽り、その上に王室が乗るという社会と、日本の

   統治時代を比較すると、 比較的理不尽があったとしても、 日本統治時代が

   平和で死者が少なかったようです。


   【明日に続く。】