第1861回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1860回 大院君の失脚の事。 2017年6月25日日曜日の投稿です。







イメージ 1



  日本人は、学校の教科書で、大院君 興宣 の事は出てこないので、知らない

人が多く、 専門の勉強する人しか知らないのが現状ですが、 国を滅ぼしていった

人でもあったのです。

つまり、彼が ことある事に 政権を揺さぶり、権力に返り咲こうとして、政争や殺戮

の陰謀を巡らせていき、 清国の軍事介入を招き、朝鮮の国家が衰えていったの

です。


イメージ 2


 ところで、みなさん 国 という意味を問われて説明できる人がいらっしゃいますか

 国です。

 なかなか、難しいのですが、 私が海軍兵学校で教わった当時は、土地の大地

 という意味でありました。

イメージ 3



  「国 とは何か。」 最近では「古来中国の諸侯が封じられた土地の事をいう。」

となっているようですが、英語では country と書きます。

 では、 「国家とは何か。」 と言うと、 一定の土地に統治権を持つ社会集団で

 あるそうです。

 英語で言うと、status と書きます。

 では、「政府とはなにか。」 と言うと、 地方自治体の統治の為の総体となります。

 英語で言うと、 government と書きます。

 それから、 「内閣とは何か。」というと、行政権を担当する合議制の機関の事で

 す。

 英語で書くと cabinet と書きます。


イメージ 4




 明治六年当時、日本では原始的ではありましたが、 この内閣に相当する機関

 が太政官 という制度であったのですが、 朝鮮半島では、 大院君 興宣の独裁

 政治が続いていたのです。 

 彼が、収入を考えず、 どんどん設備投資を続けていった結果、財政が悪化し、

 その穴埋めに、国の全体に特別税をかけていったのです。


イメージ 5



  税金を納められない人、 自分の意見に反対する人を逮捕して、見せしめ処刑

 したり、人権を否定し、 強引な事を数年間続けていった結果、 王族の中で、

 この朝鮮の王は、 大院君 興宣なのかと、そうではない、 王は高宗という人が

 いるではないか、世直しを行わなければならないと思い、密かにクーデターを

 計画する人が出て来たのです。  



イメージ 6



  その代表者が、 国王 高宗の妃の一族 閔妃 のグループであったのです。

  彼女等は初めは、興宣の協力者であったのですが、 大院君 興宣を追い出せ

  ば国王 高宗を 表看板にして、 実際は 閔 一族が政権を動かそうと考えて

  いたようです。


イメージ 7


  彼等が考えたのは、強力な軍隊を持って動かしていた 大院君 興宣を追い落

とす為に、清国を利用しようとしたことであったのです。

 これが、清国の軍事介入を招くことになり、 国家が揺らいでいき、政府が機能

しなくなっていった、 独立性が揺らいでいく原点となっていった様です。

 明治6年 1876年 11月、つまり、征韓論の論争で、西郷隆盛らが政権を

 去った、約1ヶ月後に、 大日本帝国に対して、生意気な態度を取って、国内の

不満を外国に向けさせ、政治を続けていた、大院君 興宣 はクーデターで失脚し、



イメージ 8



 大院君 興宣の次男の 国王 高宗の 御新政が始まっていくのですが、名目

上、 国王の御新政ですが、 実際は 閔妃の一族の独裁政治の始まりであった

のです。


【明日に続く。】