第2683回 大正10年 東宮裕仁殿下 訪欧記念写真を楽しむ。模型公園

みなさん、こんばんは 模型公園です。 2017年7月8日土曜日の投稿です。





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    今日から、毎週土曜日にね、 大正十年 1921年 3月3日 から

始まっていく、 東宮 裕仁【ひろひと】皇太子殿下の訪欧写真帳をみなさんに

少しずつ紹介して行こうと思うのです。

興味のない人から見ると、へんてこりんな写真ですが、96年前 関東大震災

2年前の写真になります。


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  この写真帳、 数が少なく、非売品で、 戦災などで焼失していて、あまり

数がない品物です。



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   編集は、日本海軍 第3艦隊司令部となっています。

   当時の司令長官は、 小栗 孝三郎 海軍中将

   参謀長は、田口 久盛 海軍少将

   写真撮影は、 活動写真班 藤原 幸三郎

             活動写真班 持田 米三

             写真班業務委託  福永 廣之助

    の3名の撮影となっています。


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   著作権は 日本海軍ですが、消滅してないので、撮影者も他界され、苦情

 は無いと思いますが、 コピーして 人が不幸になるような事には使用しないで

 ください。

 よろしくお願いします。



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    この書は 載仁親王 と書いて、【 ことひと しんおう】と読みます。


 伏見宮家の皇子で、 閑院宮 【かんいんのみや】 と呼ばれていました。



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               右の写真が、東宮 裕仁殿下 後の昭和天皇

               左の写真が 閑院宮 載仁親王殿下です。

  若い 東宮の後見補佐というう事で、 東宮の訪欧に同行されました。




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   明治維新の元老 太政大臣 三条 実美 卿 の次女 智恵子さんと結婚

され、 乗馬の上手な 陸軍の参謀総長を されていた人です。





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    この書は、 孝三郎と書いてあるので、おそらく当時の第3艦隊

    司令長官 小栗 孝三郎 海軍中将の書と思われます。

    小栗閣下は、 山本 権兵衛 内閣総理大臣 の側近で、日本海軍の

    潜水艦の母とも呼ばれ、日本海軍の潜水艦建造の土台を作っていった

    人でありました。




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          皇太子殿下 訪欧 第3艦隊 司令部集合写真



    前列 右から3番目 ヒゲのある人が 小栗 孝三郎 司令長官です。

    前列 左から2番目が 田口 久盛 参謀長と思います。

 

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この書は、 珍田 捨巳 と書いてあります、 【 ちんた すてみ】 さんと言う人は、

今は知る人は少ないですが、外交官で、 青森県 弘前藩出身で、しんけんさんこと

大久保利通公の 次男 当時の宮内大臣 牧野 伸顕 公が、霞ヶ関で1番の切れ者

と言われて 評判であった、珍田 さんを 東宮 裕仁殿下の外務省の補佐役で指名

されたそうです。

   肩書きは、 宮内省 御用掛 伯爵 珍田 捨巳 となっています。



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       この写真は、出発前の 東宮 裕仁殿下の一行の集合写真です。

       前列 右から3人目が 、 珍田 捨巳 伯爵です。

       その左が 当時の皇太子殿下 東宮 裕仁殿下です。


本日は このくらいにして、 土曜日に時間があったら夜に少しずつ紹介して

みなさんに 約100年前の珍しい写真を楽しんでいただけたらと思います。



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              よい土曜日の夜をお楽しみください。




  【 来週に続く。】