第1876回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1875話 朝鮮の江華島交渉の事。2017年7月10日月曜日の投稿です。





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  日本海軍の艦艇が、朝鮮の江華島の沖合に進出したのは、明治9年 1876年

の寒い2月11日の頃であったと言われています。

朝鮮側では、 再度 日本人が攻め寄せて来たと、大騒ぎになっていった様です。



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     早馬が 朝鮮の首都 漢城に到着し 閔【びん】一族に、昨年の9月の

   武力衝突の損害賠償請求交渉に、日本側がやってきて、会談の申し入れ

   を行っているとの報告で、朝鮮側は、また戦争をするよりは話し合いをと

   言う事で、使者が江華島に向かうことになった様です。


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   江華島 というのは、朝鮮の首都 漢城の西側で、 この島というのは、

 フランス人が攻めてきたり、 アメリカ人が攻めてきたり、 日本人が攻めてきたり

 当時、大変な場所であったのです。




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この江華島に 朝鮮の閔氏から派遣されてきた、役人と、日本側の黒田 清隆

大日本国全権大使との交渉が開始され、 朝鮮側は先の武力衝突の損害賠償の

交渉と思っていたようですが、 日本側は「条約を結んで、朝鮮側が開国し、仁川、

釜山、 元山の港を開いて、交易をするべし。」と、強く申し入れ、会談は 物別れに

なっていったそうです。

朝鮮側の使者は、 漢城を出る時、 損害賠償の交渉役として出発したのであって

朝鮮国が開国するかどうかの、権限を持っていないので、 出直してくると言うわけ

です。


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  会談は物別れとなり、 数日の空白が出来ていったそうです。

  ところで、日本の 黒田 清隆、 井上 馨 などの人が朝鮮側に提示した

  通商条約とは、 朝鮮側に 関税をかける権利がない不平等条約と呼ばれる

  日本が、幕末にアメリカに騙されて結ばされた条約のコピーのような条約で

  日本人は、朝鮮人を騙して、 この不平等な条約を軍艦で乗り付けて、圧力を

  かけつつ、朝鮮人に押しつけようとしていったのです。



  【 明日に続く。】