第1879回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1878話 米朝修好通商条約の事。 2017年7月13日木曜日の投稿です。
1878年 明治10年頃から 日本人が西南戦争の物資の確保から、朝鮮から
米などの物資を買いあさり、 朝鮮国内の米が不足するという事態になって行った
【 辛未洋擾 アメリカ アジア艦隊と朝鮮との戦争 】
そんな年が続き、 1882年 明治15年に入ると、 アメリカは朝鮮を開国させよう
と一度武力で攻撃し、江華島付近で戦争となったのですが、 こんどは、武力を
用いず、間に清帝国を仲介人にして、朝鮮に巨大な圧力をかけていったのです。
日清戦争で、日本と和平交渉で火花を散らしていく、清国の実力者で
李鴻章 という人物を仲裁人にして、 朝鮮に 開国を迫っていったのです。
当時、大朝鮮と呼ばれていた、朝鮮の閔妃とその一族は、清国の圧力に
5月22日に締結したと言われています。
を行い、多くの死傷者が出ていて、 そんな アメリカや、フランスと開国して
貿易をするとは、後に災いが来るに違いないと称して、 多くの人が、当時の閔妃
とその一族に怒りを覚え、 凶作と、日本人の食糧物資の買い付けで、国内の
食糧価格が上昇し、 多くの生活困窮者を出していた当時、 さらにアメリカが
入って来た場合、いったいどうなっていくのか、心配する人が多かったのが実情
であったのです。
もう一度、鎖国をしいて、もとの独自路線に戻そうとする動きが、 失脚していた
大院君 興宣の一派によって、水面下で進んで行ったのです。
朝鮮は、動乱の時代に進んで行き、 国が滅んでいく原因になっていったのです。
その理由は、 政治家が 「自分の立場と、権力の維持のことしかを考えていな
かった。」 の一言に尽きるようです。
【明日に続く。】