第1880回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1879話 大朝鮮の軍政改革の摩擦の事。2017年7月14日金曜日の投稿です。






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  日朝修好条規 という条約を 大朝鮮国、 大日本国と、両者対等の国の付き

合いをしようと 持ちかけた、黒田 清隆 という人は、面倒見のよい人で、子分も

多かったし、 ただ欠点があって、 大酒のみで、酒が過ぎると、我を失って失敗

するというところがあったのですが、 朝鮮の 閔氏【びんし】にも、親切に対応

していたそうです。



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   そんな 閔氏の一族が考えたのが、 自分達の周囲を、自分達の軍隊で

取り巻いて配置し、優秀な兵器を整えて、 反対勢力を牽制しようと考えたようです。

つまり、ナチス ドイツで言えば、親衛隊のような軍隊を作ろうとしていたようです。

ここに、日本人の軍事顧問と、日本側から西洋兵器を購入し、その組織を作ろう

としていたようです。


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  こんな要望を受けて、日本では、「 とんでもない。」と、反対する人と、「 大朝鮮

と仲良くして、西洋諸国の植民地支配に対抗すべし。」 と言う人や、いろいろあった

のですが、黒田 公の口添えもあって、 小規模の軍事顧問団を、日本側から

大朝鮮国の首都 漢城に派遣して、西洋式の軍事教練が開始されたのだそうです。



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日本が大朝鮮国に売りつけたのは、 西南戦争で没収した、西洋式の旧式の

前込め式のエンフィールド小銃などで、 大朝鮮国の閔氏一族は、 それをみて

西洋式の部隊が出来上がれば、心強いと考えていたようですか、そうは思わない

人たちも大勢いたようです。

 その人達というのは、 大朝鮮の軍隊の幹部達であったのです。

 自分達をかやの外において、 日本人を招いて閔氏の西洋式軍隊を編制しだ

したことに危機感をいだき、 いずれこれらの軍隊が機能し出すと、自分達が殺

されるのではないかと考えるようになっていったようです。



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  そして それらの不満分子に接触したのが、 前の権力者 大院君 興宣

【だいいんくん こうせん】であったのです。

  大院君 興宣は 隠密に これらの軍関係者と打ち合わせして、 自らが

旗頭となり、閔妃 と閔氏一族を武力討伐しようと、クーデターの計画を立てていく

のです。

そして、日本人が訓練する西洋式の軍隊が出来上がる前に たたきつぶして

しまおうと考えたようです。



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  スターリンや、毛沢東は、政敵は一族もろとも幼児まで情け容赦なく処刑して

しまい抹殺することで、長生きをしたのですが、 閔妃 と その一族は、自分の夫

国王 高宗の 父親と言う事で、世間体もあり、 大院君 興宣の命まで取らな

かったのです。



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  この 詰めの甘さが、 閔氏を衰えさせ、 大朝鮮を衰退させ、国が消滅して

 しまう原因となって行ったのです。

 大院君 興宣を 処刑しておけば、 違った歴史になって行ったかもしれません。




     【 明日に続く。】